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変わった雲なので写真を撮った。パチリ☆ [記録]

夕方の6時頃。西の空に変わった雲を見た。


縦雲.jpg

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共通テーマ:日記・雑感

<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 11/18 [記録]

[猫]今、改めて、なぜ、この文書が極秘だったのか。
  考える必要があると思います。

第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日

<標準画像 11/18>
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/129_1/129_1_011r.html

p11.jpg
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竹越  質問すべきことはない。又、する必要もない。

河原  前文の 「廃止」 と「排除」 の差如何

金森  「廃止」 と云うと現在のもののみを排除する意味の様にひびくが将来のものも
     含める意味で 「排除」 とした。

河原  「主権」 と云う語は同じ憲法の中では同じに使わねばならない。先程の
     ご説明で修正箇所の 「主権」 はよろしいが、前文後段の 「主権」 はちがふではないか。

金森  仰せの通り。前文後段の 「主権」 は国家が外に対してもつ働きということ
     であり2つの間に(書き足し:少し)矛盾があることは認める。

                                  (一二、〇五 散会)

    --------------

    第二回  審査委員会                (一〇、二一)

遠藤   主権の所在について一言希望したい。私は條文の文字の上で国体
     がどうなっても国民の天皇に対する信念は不変と思う。その点指導
     よろしきを得る様お願いしたい。

関屋   国体について色々お話があり、諒承するが、これの解釈(?)によっては
     影響する所が多いと思ふ。若い大学の学者連中の懸念を知っている。
     これが貴族院の質問の原因であると思ふ。政府の考えを決められる
     前に、純な学徒の意見をきかれたい。
     一体外国には国体と云ふ様な概念があるのか。
     「詔勅」 は必ずしも制裁があるわけではない。大きな思想を現はす
     所に妙味がある。どの範囲を詔勅と云ふのか。

金森   「一四條は変わった。しかし、それは政体と云ふべきだ。」 と言って来た。
     しかし、そもそも治安維持法以外には国体の国法上の意味がない。
     だから、大したことはないのだとも云へる。しかし、政治的に考えると
     国体が変わったと云ふことは影響が大きいので、国体不変といふこと
     を旗印にしたのだ。

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『<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 4/18 』 で、
衆議院憲法調査会事務局の、「日本国憲法制定に至るまで」 を載せています。
その中の一つ、「4 憲法議会の審議」 から、

昭和21年7月11日「衆議院憲法改正案委(第10回)」 (逐条審議に入り前文に対する質疑を終了)
も踏まえておく必要があります。

審議したことを小委員会で審議し憲法に反映したとしているからです。(国民の総意であると…)
そして、極秘となっている小委員会の内幕が、「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」です。
当時、(大日本帝国)憲法の改正に関わった人々の姿勢が垣間見えると思います。

なぜ、衆議院で国体を議論したのか。主権を議論したのか。
当時の(主権のない)状況での憲法(全面)改正。

日本国憲法の正統性について、今こそ、論じられるべきです。

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※注! 元気[猫]が現代文に変換。強調したい部分に赤字&線引き。

昭和21年7月11日 「衆議院憲法改正案委(第10回)」
 
委員長:芦田均   国務大臣:金森徳次郎  法制局長長:入江俊郎

○芦田委員長

この際申上げて置きますが、各条項に付きましては、あるいは修正等の御意見もありまして、
色々ご発言もあることと考えますが、ある程度の論議を重ねたあと、その修正等の意見につきましては、これをまとめるために後に小委員会を設け、その小委員会に於て改めて御研究を願うことと致しまして、議事を進めたいと思いますから、ご了承を願います。
まず、標題 「日本憲法」 及び、前文を議題にします。

[猫]小委員会が、 「審査委員会」 にあたります。


(略)
○鈴木(周)委員
前文の 「そもそも国政は、国民の崇高な信託によるものであり」 ということと、
第1条の 「日本国民統合の象徴であつて、」 この所と、
第93条にある 「信託」 というものとの関連性について、
「信託」 という言葉と、「象徴」 という言葉は委託されたる意味における心的現象の現われであるか、
また、統治をする上における主権の、すなわち権利の存在をしめす意味の法文であるか、
その点の関連性を第一に聞きたいと思います。

○金森国務大臣
前文の 「国政は国民の崇高な信託によるものであり、」 ということのこの意味は、
国政全般を指して居る訳でありまして、国の政治は、政治を現実にやっている人が、 自分の為にやるのではない。国民全体の為にやっているのである。そういう考ヘ方であります。
つまり、国政というものが、どうもすれば為政者が自分の考ヘを実行し、自分の為やるという、
一つの考ヘ方がありまして、それをここではっきりと、
国政というものは、やっている人の自分の気分でやるのではない。 まったく国家全体のためにやるのだ。いいかえれば、国民のその総意を国政が引受けてやるのだ。
そういう政治と国民との関係、したがって、また、政治を担任するものと国民との関係をここに明かにした訳であります。

第一条の象徴と申しますのは、国政全般、色々広いのでありますけれども、それとは別に天皇の地位だけに着想して天皇を迎げば国自身がありありと眼に映るという気持ちをいったのでありまして、事柄が少し違っていると思います。
だから、政治自身は、誰がやるのかというと、これは現実の政治をするものが皆、分担してやって居ります。しかし、繰り返しますが、自分のためになるのではない。
国民全般のためにやるのだ、これはそれでよく分かると思うのであります。

第一条は、もちろん国民の全体の総意をうけて天皇が象徴であらせられるというのでありますから、
これは、政治を現実に担任せられるということは、主な着想をして居りません。
仰ぎ見れば、これが国の姿であるということだけであります。
ちょっと分かり難いかも知れませんが、もう少し先の第四条、第七条等の所まで触れさせていただいて、
申しますれば、天皇は条約を認証せらるる。あるいは、栄典を授与せらるるということがある、ここにいきますれば、いくらかはっきりとしてきまして、これは、国民の政治をこの形において実現せられるということでありまして、この前文の中の国民の崇高な信託により、国政の一部をおこなわるるということになります。
第一条は、政治を行うという方でなくして、仰ぎ見ればそれが国であるというのでありますから、
少し縁が遠いような気がしております。

[猫]回りくどく感じるほどの言い回しが必要な理由を考えてしまいますが、
現在の閣僚、官僚、政治家の肝に銘じていただきたい基本のことも発言されています。 「自分のためではない政治」、遵守していただきたいものです。


○鈴木(周)委員 
第九十三条にある所の信託の意味を御説明にならないようですが、一つ御願い致します。


○金森国務大臣
第九十三条の信託は、前文にあります信託とは幾分意味が違っているのであります。
同じ信託という言葉でありましても、前文にあります信託は、本来は国民に属するものであります。
それをうけて国政、すなわち政治機関が運用していく、だから、本体は国民であるけれども、
やって行くのは、政治機関
である。そういう意味であります。

それから、第九十三条の信託というのは、これは大事に扱はねばならぬ本当に貴重な権利である。
永久の権利であるから、自分のものであるからと叩き懐してもよろしいか、そんな風に心得てはいかぬのである。永久の権利として大事に保存して行くべきものである。
そういう意味で信託という言葉が使はれて居る。
すなわち預かり物というような意味で大事にしていこうかという、そういう気持ちであります。

[猫]今の時代こそ、権利を信託であると捉えて、後世に引き継ぐ意識が必要だと思います。


○鈴木(周)委員
ただいまの御説明でどうも納得がいかない。
信託したということになれば、すなわち、物的現象にも心的現象にもこれを信託したことになる。
第一条の象徴ということと関連すれば天皇主権説であるというようにも考えるのであります。
どうも、国民と共に一緒になるというような、この間からの含蓄ある言葉で濁ているようだが、この象徴と信託ということを今少しはっきり御説明願えぬものか。
また、第九十三条の永久の権利として信託せられる。
これも私達はどうしても信託した以上は、これに服従すべき義務があると思う。
その意味から言うと、この憲法の最後の断定を下す上において、また、これを履行する上において、
悪い所の政治家が出来たならば、内閣の助言、あるいは、その他の文章がありますが、
それによって専制政治に近い政治を行い得るようなことになりはしないか
すなわち、信託というものと象徴というものと混同させない方法を考えたことがあるかどうか。
立法技術として伺いたい。

○金森国務大臣
信託という言葉は一つの沿革のあるものでありまして、実は前文を御説明申上げまするためには、
その基本の考えから申し上げなければ分らないと思うのであります。
基本の考えと申しまするのは、例を取って見ますれば日本の法律制度の中に信託会社という風なものがありまして、そこに信託という法律関係が行はれて居ります。
大体これは、法律関係を指している訳ではありませんが、考え方はその考えでありました。

本来、政治というものは、国民が行うべきものであります。
これは、誰が考えてもそう思います。しかしながら、それでは国民の全体が政治を行うことができるが、
国民が一固まりになって裁判をすることが出来るか。
国民が一固まりになってある特定の人から税金を取立てることが出来るかといえば、これは出来ません。
そこで、実行の面におきましては、政治は必ずある特殊の人が政治をしなければならぬ。
あるいは、国会において、法律を議するとか、あるいは、内閣において国の行政方針を決するかという風に
やって行かなければならぬということになります。そうすると、本来働くべきは国民であります。けれども現実に行うのは、議会の議員とか役人とかいうものであります。
この間の関係をどういう言葉で説明したらよろしいか、普通の言葉で申しますならば、使用人とか、雇主が雇人に物を命じてやらせる。そういう考えも浮かぶかも知れませんが、しかし、そういう国家の政治の基本に付きましては、左様な関係はないのであります。
本来は国民自らがやるべき政治であるけれども、その政治というものは、その国民の為に国家の色々な機関がこれを担任して行くのであります。
という意味で国政は大事な信託である。そういう言葉を使ってこの前文が出来ていると思います。
だから、その点におきまして、分かりにくいことは、実はないと思っております。

それから、憲法の第一条によりまする天皇の御地位は、これは日本国民の至高の総意に基くのでありまして、言葉によって明らかにありますがごとく、本来至高の総意というものが基本にありまして、そうして天皇のこの御地位が決まる訳であります。でありますから、ある意味において、信託という言葉の中にも入って入り得ないことはありません。
また、しかし、信託ということは、政治として現実に働く方を指しているので、第一条は、現実に働く意味はないその其の中心点であります。
仰ぎ見て天皇をもって日本の徴象とするということであります。
それが現実に現われてきますのは、四条以下の天皇の種々の御権能の中に現われてきます。
その部分においてやはり信託に基いているということは、これは一点の疑いもないと思う訳であります。
それから、今の九十三条の所の信託というのは、これは誰の権能を誰に授けるとか、そういう第一章にありますような本来何かのものであるのを現実にはあるものをして行いしめるとかそういう意味の信託とは違いまして、本来この権利は大事に扱わなければならぬ、永久の権利としてお前に渡して置くのだから大事に扱わなければならぬという気持で永久の権利として信託したものである。
宇宙の普遍的なる原理によって、そのものは勝手に処分権がないように、これは、自分の自由な権利だから捨ててもよろしいという気持を起してはならぬ。そういう預かり物は大事に預って行くのだという意味で、意味が違っていう意味に了解しております。

○鈴木(周)委員
 さすれば、第七十三条(77条?)に弁護士という言葉があるが弁護士に使う場合において――
刑事被告の其の他の訴訟人を扱う場合において、信託という言葉はなくても信託と見得るかどうか、
即ち前文の信託という言葉は各条に大きな影響を及ぼすと私は思います。
弁護人に対するもの、即ち人権の保護上における弁護人との関連性から見てであります。
なお、第二十七条(29条?)に財産権を侵してはならないとあるが、これに対しての信託行為は一つも又見えてない。その財産行為に対しては――
人権は信託しえるというような弁護人の一つの方法があるが財産権に対する所の信託の方法は見えなかった。これに対して、立案者として研究したことがあるかどうかを伺いたいと思います。

○金森国務大臣
 今の御尋ねは、結局九十三条の解釈又は適用としての御尋ねと思っておりまするが、少し何か原文の趣旨と御尋ねの趣旨とは関係が遠いのではないかという気持がするのであります。
九十三条のは、今まで申上げましたように、結局国民の基本権というものは尊いものである。それを侵すことが出来ない権利として国民にこの憲法は認めるぞ。そういう意味であります。
しかも、勝手に処分しちゃいけない、これは大事な宝物として扱てということで、永久の権利として信託されたものである。そういう趣旨に出来ている。今、御尋ねにありました弁護士に仕事を委託するとか、あるいは、財産権に付きまして何かの委託をするとかいうことは、全然別の問題のように考えております。
私の聴き方があるいは間違っていたのかも知れません。

○鈴木(周)委員
 私の質問の要旨があるいは悪かったために、そういう風な御答弁になったのかも知れません。
前文の信託という文字からいきますれば、弁護士に信託するということと、財産権に対する信託ということの問題まで波及して参ったのでありますが、この点に対しましては、逐条審議の場合、この前文と関連して信託という文字についてと、信託行為に付てとの現実なる最近における時勢から質問することにしまして、これで前文は止めます。

○芦田委員長 本田英作君

○本田委員
 私は、前文の一項第二項、第四項の冒頭に
「日本國民は、」 と書いてありますが、この「日本國民は、」 という文字を使うことが適当であるかどうかということに対しまして国務大臣に御問いしてみたいと思うのであります。
この上程されておりまする憲法草案は、現行憲法の改正案として上程されたものであるということは、当初政府委員の方の御説明によってよく承知しておるのであります。
しかるに、改正憲法がここに議会の議を経て公布せられる場合において、その改正憲法において日本国民という名前において前文を掲げるということは、現行ノ憲法の色々な御勅語其の他のものと対照して余りにかけ離れているような感じがするのであります。 その繋がりとして、「日本國民は、」 というような文字をもって、言い表すということは、多少適当でないのではないかというような感じが致すのであります。
申すまでもなく、この憲法は、国家の基本法でありまして、国家の行為を覊束する規則であることは申すまでもないことであります。
しかし、日本国民に対しての観念に対しましては、先般来金森国務相の御説明によって、この国民の中に天皇を含む国民であるということはよく承知しているのでありますが、この現行憲法の改正憲法である本草案の前文として突如として日本国民という文字をもって、前文を書き表わすということに対しては、どうも繋がりが面白くないように思うのであります。
かつ、この前文の中に日本の国民から世界の諸国民の公正と信義に委ねるというように、
諸国の国民に呼びかける節もあるのでございますが、しかるが故に政府は日本国の憲法でありますから、これを国家の一つの宣言なり理由として国家の名義を用ずして、日本国民の名を掲げてこの前文を表わされたのでありましょうか。その点をまず御聴きしたいと思うのであります。

○金森国務大臣
 まず初めに御尋ねの点、即ち日本の憲法は欽定憲法を現行憲法とする。
その憲法の第七十三条によって、この改正が出来る、という時に、この前文において、あたかも日本国民が憲法を作ると書く書き方は妥当を失するのではないかと御尋ねと思うのであります。
その御尋ねは、まことに事由あり大事な点を含んでいることと考えるのであります。
御承知の如ク、「ポツダム」 宣言及び、 「ポツダム」 宣言に基きまして、外国との広い意味の交換文書の示す所によりますれば、日本国の政治の根本形態は国民の自由なる意思決定によって決まるべきものとされております。

したがって、この憲法の改正案は日本国民の自由なる意思決定に依って定まるべきものであります。
したがって、この前文におきまして、この憲法は日本国民の自由なる意思決定によって出来ているということをはっきりと書きまして、この憲法が成立しました暁においては、十分国法上のはっきりした事柄として、これは国民の自由意思で決まったのだという風に内外に明かにする次第であります。
でありますから、この前文にこの憲法はどうして確定したか、日本国民が確定したのである。しかし、日本国民というものは、一つの声を出しえるものではない。どうして日本国民が発言をしたかといえば、正当に選挙せられた代表者を通じて議会において是が出来上ったということを書いているのでありまして、この書きました点に付きましては、それが必要であるということは自ら明瞭でああろうと思うのであります。

又今御尋ににありましたのは、憲法七十三条によれば欽定憲法の延長としてこの憲法の改正が出来るはずであるにも拘らず、これでは意思の違った日本国民が憲法の改正をするのだという所に非常に解すべからざる飛躍が現われて来るのではないか、そういう点であろうと思います。
その点も前からも、ある形において、申述べたことはありますけれども、現実にこの憲法が議会の議に付せられておりまするのは、明かに憲法七十三条に拠っております。しかたって、この前文の範囲より広い意義になるのであります。
天皇が御発案になる、この前文に書いてございません貴族院の議を経る、これも前文に書いてはございません。
それから、最後に天皇が御裁可になるこれも前文に書いてはございません。
多くの手続きの中の一部分だけをはっきり書いたということになる。すなわち、この議会の選ばれた議員によって決定する。つまり一部分だけを書いております。
その点において、当然としてみれば、やや真実にそぐわないという御疑いが起るかも知れません。けれども、この憲法はいわば過渡期――
過渡期と申しまするか、過去と将来とを繋ぐ途中のものでありまして、将来に向ってこの書き方の方が非常に的確にこの憲法の由来を理解せしむるに足ると思うのであります。
しかし、他面過去に向いましては、欽定憲法第七十三条と是との関係が、この前文だけでは、はっきりしておりません。そこに御疑いを御持ちになることは、当り前のことであります。
又、その疑いを持たないでこの憲法を審議することは出来ないと考えております。
しかし、これが現実に無事に議会の議を経て成立しまして、新たなる憲法改正となってゆきますときは、このまま出るのではなく、これの上諭文が付きまして――
憲法改正案が本当に改正になりました時に、天皇の勅命によって、憲法第七十三条の規定を遵律して、この憲法が世に生れ出たということを明かのする上諭文がついて、官報に載ることと思います。そこで、この上諭文を見れば、過去に対する繋がりがはっきりし、又将来に対する繋がりがはっきりするということで、その点の御疑念は恐ラク御晴し下さったのではないかと思すのであります。

次に第二の問題として、外国に話しかける時に、なぜ、「日本國家は、」 とやらないのかという御尋ねであります。それは、国家と国民とが本質的に違うわけではありません。

ここに、国民と申しましても、一人一人の人間をいうのではなくて、国民の集団を指しているのであります。この国民の集団と国家というものとの観念の差は、学問的にいえば色々ありましょう。
色々といっても大してありませんけれども、その間の知識を繋ぐ学理というものは色々の考えもありましょう。あるいは、領土というものは、国家なら考えられるけれども、国民には領土という考えは入っておりません。
けれども、意思表示の現実からいえば、国家に口があるわけでじゃありません。
国民が物を言うわけでありますから、国民がその心持をもって世界に平和を呼びかける方が、国家が法律的な組立を前提として呼び掛けまするよりも、的確に気持が映って来るのであります。
そこで、前文におきましては、「日本國民」 という方の言葉を取った訳であります。
つまり、実質に近い言葉で言い表すか、法律的な段階を経て国家という言葉で言い表すかという差があるのでありまして、もっとも敏感に世界に映って行く響きは、国民ノ声、そういった方が有効なように考えるわけであります。

○本田委員
 日本国民という名によって、内に国民全般に呼び掛け、さらに、外国に呼び掛けられる御趣旨は、分かりますが、まず、その日本国民という観念につきましては、先刻も申しまするように、本議場及ビ委員会の席上において、極力金森国務大臣が御説明になって、我々は国民という言葉の持つ観念を解しているのでございますけれども、なおかつ憲法の一条以下の条文を繰返して見る場合において、この国民というものが、金森さんの言われる広い意味の国民と解するのが適当であるか、天皇を含まない国民という、狭い意味の国民と解する方が適当かということに対しましては、ただちに判断がしにくいように思うのであります。
言われる意味は能く分かりますけれども、この新憲法の条章に現われた国民という言葉を、近き将来において、我が国の憲法学者が解する場合において、金森さんの言われるように、この国民という文字を解釈せられるかということに付きましては、多大の不安を抱くものであります。
結局、政府当局の方でしきりに国民というものを広い意味の国民とそう主張せられるのは、この一条以下に掲げられたる国民という用語自体からしますと、第一章には天皇という規定が厳として掲げられ、第三に国民の権利義務と、そう掲げられてありますから、何もこの条章の上の国民を、天皇を含む国民と解しなくても、この新憲法によって天皇制というものは護持せられているものと、私は解するのであります。
特に政府が力瘤を入れて、日本国民という観念の中には天皇を含むということを主張せられるのは、この前文に日本国民という文句を使われたがゆえに、そういうことに力瘤を入れられるのではないかと、私は、私が推則をしている訳であります。
ことに、先刻申しまする通りに、憲法は日本国家の基本法でありますから、その基本法の前文を飾る文句において、何も日本国民がその名によって呼びかけずとも、日本国、日本国が先刻申しました日本国民の意思によって、その正当に代表された代表者を通じて決意をしたということにして、少しも差しつかうぁないと思うのであります。
ことに、今日総ての国民は国家という枠の中にある国民でありますから、日本国民が外国の国民に呼び掛ける場合において、日本国家の名をもって外国の国家を通じてその国民に呼びかけるることによって、何も妨げないと思うのでありまするし第一項、第二項、第四項に代わるに、「日本國は、國會における正當に選擧された代表」――
文言に付いては多少修正を要する点がありますが、そういう風に前文を書いて行く方が、主権が何処に在るかというようなことも、ほぼそれによって新憲法の狙って居る所の所在を示し得ると思うのでありまして、その改正憲法が現行憲法に継続して生れ出た由来もよく分ると思うのであります。
「アメリカ」 の国民が新しく独立国家を羸ち得たという場合でありますならば、国民の名に依ってその国の憲法の趣旨を世界に呼びかけるというものも宜しいでありましょう。
又、「フランス」 国民がその共和政体を長き戦いの下において羸ち得た場合において、
国民の名によって世界の国民に呼び掛けるというものも宜からうと思うのでありますが、
現行憲法の改正憲法たるその日本憲法の前文において、突如として、「日本國民」 という文句を出して、そうして主権は君主に在りや、人民に在りやという論争を残して、将来の憲法学者その他に疑問を残しておくということは、私は面白くないと思うのでありまして、どうしてもこれは、「日本國憲法」「日本國は、」 ということで、日本の国家の名によってこの前文が起草せられる体になされた方が宜しいのじゃないかと思う次第であります。
重ねてくどいようでありますけれども、一応その点を御確めしたいと思います。

○金森国務大臣
 先程私が御答えを致しましたのは、その場合の 「日本國民」 という言葉に代わるに、「日本國」 という言葉をもってして、そうして例えば世界に平和を呼び掛けるという形を取っても、筋が通らぬ訳ではない。
そういうような趣旨をもって御答えを致しました。
すなわち、この憲法の前文の書き方は、一つの方法であります、御尋ねの中に現われました国をもって呼び掛けんとする行き方も、一つの方法であるということを申し述べました。
しかし、今の御尋ねを本に致しますれば、その二つの方法の中でこの憲法の前文が採ってありまする方法の方が、より良いのであります。
しかも、この方法によらなければ、現在の我々の心持を十分表わすに足らないということを、ここから御答えしようと思う訳であります。

 一体、国というものが何であるかということは、容易に答へがたいことでありましょう。
けれども、国民というものは、我々はありありと之を見得るものであります。
哲学的に言ったならば、国民というものは見えないものかも知れません。
しかし、国民各個の人間は見えるのでありまするから、その各個の人間を総合的に考えまする所の国民というものも、まず見える部類によるものと見てよろしかろうと思います。
それを従来は、特に国という方に着想を重く置いて、国がどうして出来て来るかという個々の国民の方に少なくとも重点を置かなかったきらいがあるのであります。
そこで、国家がある特定人の専横によって動いて行っても、それは、国という一ツのものえある。
例えば、外国でいえば、「ヒトラー」 がこれを導くということに何の不思議もない。
「ヒトラー」 の意思は、すなわち、国の意思でありう。そういうような一つの形而上学的な判断を加rて、それで満足することが出来た訳であります。あわせて、そういう考え方よりも、国というものは、国民全体が基本となって出来ているものである。ゆえに、国民の方に着想を置きまするならば、国のいわば独善的な働きというものは考えなれません。足の二本ある個々の人間に全部繋がりを持った国家というものがはっきり念頭にういて来るのであります。そういう
念頭にういて来るということをはっきりさせたいというのが今の日本の現状であり、この憲法に生れて来た所の由来ではなかろうか。
そこで、憲法は国民という所に重きを置きまして、この国民の心が繋がり繋がって一つの統合を成して居ります。
この統合を成している所に国及び国民の統合がはっきり現われるのであって、それを天皇が象徴として身をもって現わしておいでになる。そいいう風の着想に由来して行っているのであります。
かく考えて行きましてこそ本当に是から行く所の民主政治の個々の制度が基本の考えと表面的にもよく繋がりをもって国民の心に映って来るものと思うのであります。
今仰になりましたような説き方でも十分分かりますけれども、その間は多くの学問をもって繋がらなければなりません

この前文の書き方でいけば、国民がやるのだ。国民が世界に叫ぶんだということで、その出来上がってくる由来までも一遍にはっきり分かってしまいまして、非常に諸般の関係において適切なる結果をなすもののように思っているしだいであります。

   -----------------------------------------------------------

○憲法の改正案は日本国民の自由なる意思決定に依って定まるべきものであります。

○前文におきまして、この憲法は日本国民の自由なる意思決定によって出来ている。

○この憲法が成立しました暁においては、十分国法上のはっきりした事柄として、これは国民の自由意思で決まったのだという風に内外に明かにする。

○この前文にこの憲法はどうして確定したか、日本国民が確定したのである。

○どうして日本国民が発言をしたかは、正当に選挙せられた代表者を通じて議会において。

○意思の違った日本国民が憲法の改正をするのだという所に非常に解すべからざる飛躍が現われて来る。

○現実にこの憲法が議会の議に付せられておりまするのは、明かに憲法七十三条に拠っております。

○当然としてみれば、やや真実にそぐわないという御疑いが起るかも知れません。
 けれども、この憲法はいわば過渡期――
 過渡期と申しまするか、過去と将来とを繋ぐ途中のものでありまして、将来に向ってこの書き方の方が非常に的確 にこの憲法の由来を理解せしむるに足ると思うのであります。

○欽定憲法第七十三条と是との関係が、この前文だけでは、はっきりしておりません。
 そこに御疑いを御持ちになることは、当り前のこと。

○この憲法に生れて来た所の由来

○国民の方に着想を置きまするならば、国のいわば独善的な働きというものは考えられません。

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<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 10/18 [記録]

第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日

<標準画像 10/18>
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/129_1/129_1_010r.html
p10.jpg
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   貴族院の学会権威の反対に対して私は極力国体不変を旗印とした。

   かかる紛糾の一つの経路は従来八束博士の学説を基礎にしてこれある

   が故に日本ありと云うもの 即ち国家不変の根本本質が 国体でありそれ

   が現行憲法第一条 第四条で示されていると考えられた。ところが今回の様

   な急変に会うと実に深く考えねばならぬこととなった。従来現実に政

   治をなさる場合の根本点が天皇にある。これが納税者の意味であるとされて

   いたが、思うにこれは根本々質ではない。国民生活の中心点をみたされると

   云うことが本質であって天皇が個々の権能を有たれることは本質ではない。

   更に深いところに国体を求めた新聞等の報ずるところで議論が岐れたと

   云うことの印象があるが実質的には一致していたと思う。

   世の中の動きを導くかの点については官製解釈はとらない建前であ

   るからまっしぐらに政府の見解を押し付ける積もりはない。しかしあらゆる

   に趣旨を普及させたいと考えている。

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前の記事(9/18)で、主権の所在と国体の変質について審議されていました。

そのことについての(誰かの)注釈、覚書のようです。

冒頭の 「資料と解説」 によれば、「佐藤事務官の要約筆記に基づいている」 入江俊郎文書であり、
「第1回と第2回の審査委員会に出席した法制局側の記録」 となっています。

このメモ(注釈)を書いたのは誰なのか。
おそらくは、入江俊郎氏か金森氏でしょう。
佐藤事務官の筆跡ではないことだけは、確かなように思います。
内容としては、金森氏の考え(論の展開・レトリック)の核心だと思います。

整理します。

○貴族院の学会権威の反対に対して私は極力国体不変を旗印とした。

貴族院の学会権威の方々は、国体が変わることを反対理由としていました。
大日本帝国憲法での主権は国体にあったことが明白だったからです。

だから、(GHQの意図に沿うために)国体そのものは変わらないと説明し続けた。
大日本帝国憲法の焼き直し(一部改正)である松本案では、

      主権は法人たる国家にある

                                       となっていたからです。

そして、松本氏は退けられ、マッカーサー草案が配布され翻訳され、
日本国憲法の原案として審議するように指示された。
審議の内容がGHQの意図に沿わないなら、沿うように誘導する。
それが、この(委員会の)審議の目的です。
そうしなければならなかったのは、GHQ(占領軍)にそのような権利はないからです。
占領国が、「占領地ノ現行法律ヲ尊重スル」 というヘーグ条約に違反して、
法律に違反する以上の最高法規を制定するように誘導したからです。
だから、「日本濃く憲法公布の勅語」 で、

自由に表明された国民の総意によって確定されたものである。
即ち、日本国民は、みづから進んで戦争放棄し、
全世界に、正義と秩序とを基調とする永遠の平和が実現することを念願し…


と言わしめた。

自由に表明された国民の総意

公職追放された人々は、独立回復の年(1951年まで)追放状態が解かれることは無かったのです。
その数は、数十万人と言われています。
GHQの意に添わぬ人々は、選挙で選ばれた国会議員であっても追放された事実を考えると、
廃墟と食料難の戦後復興に懸命な日本人の総意というのは…

GHQの意を日本人の総意とした。

そして、そのための日本人への再教育(洗脳)は、テレビやラジオ・新聞を通じてされました。
敗戦の混乱と廃墟と飢餓の中で、救いとしての憲法。戦時中の軍部に責任があるとした。
繰り返し、繰り返し…


日本軍が悪かった。日本人を解放した。

そして、日本国憲法の素晴らしさを日本人に広めるために尽力した。
そのために、憲法普及会を作り、学校でも一般家庭にも手引き書を配布した。
その内容は、日本国憲法、国民主権、民主主義の素晴らしさのスリコミでした。
(この件についても、後日、記事にする予定です)


○紛糾の一つの経路は従来八束博士の学説を基礎にしてこれあるが

八束博士とは、穂積八束氏(1860年3月20日 - 1912年10月5日)のことです。


○即ち国家不変の根本本質が国体

という考え方です。国体が変化してはならないから、紛糾したのです。


○ところが今回の様な急変に会うと実に深く考えねばならぬこととなった。

松本案が退けられ、松本国務大臣は公職追放され、マッカーサー草案を提示されたことです。
実に深く考えねばならないのは、紛糾を収拾するための詭弁についてだと思われます。


○従来現実に政治をなさる場合の根本点が天皇にある。
  これが納税者の意味であるとされていたが、思うにこれは根本々質ではない。
  国民生活の中心点をみたされると云うことが本質であって、
  天皇が個々の権能を有たれることは本質ではない。

国民生活の基軸になることが本質であるということです。
天皇の権能が本質ではない。


○更に深いところに国体を求めた新聞等の報ずるところで議論が岐れたと云うことの
  印象があるが実質的には一致していたと思う。

更に深いところに国体を求めた。新聞社等の報道で議論が分かれた印象があるが、
実質的には(議論は分かれておらず)一致していた。


○世の中の動きを導くかの点については官製解釈はとらない建前であるから、
  まっしぐらに政府の見解を押し付ける積もりはない。

政府の考え押し付けないという建前であるから、まっしぐらには(表向きは)見解を押し付けない。


○しかしあらゆる会に趣旨を普及させたいと考えている。

ここでいう趣旨とは、GHQの趣旨でしょう。
実際、先にも述べたように、あらゆる機会を捉えて憲法普及会が活動するようになります。


本音と今後の方針が現われています。

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<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 9/18  [記録]

第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日

<標準画像 009/18>
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/129_1/129_1_009r.html
p9.jpg
   ------------------------------------------------------------

     (この前の本院の検査の際は、松本国務大臣は主権が国民に) 008/18より
      あるとは政治論であり、法律論としては主権は法人たる国家に)

      にあるとのことだった。  国民に存する、ことを明定したのは、前
      文では、非法律的かもしれぬか、第一條では、そうはとれない。これは
      法律的に主権在民を明定したのか。今後は主権在国家はあ
      やまりか。

金森   主権の概念如何によって問題が岐れると思う。
      原案第九條をもととして考えると松本氏の説は正しいと思う。
      今後の前文、第一条の主権は別の意味である(議会に於ける説明と
      同趣旨の説明を行う)

林    すると今の様な主権が国民全体にあるとすれば、これが国家にあると
      云うことは云えないのか。

金森   実態は国民全体にあり、それを基盤として国家にその法律的な
      権利がでてくる。即ち謂わば実質と形式を分けて考え、松本氏は
      主権の動く窓口の面を捉えて説明されたものと思う。

林     主権と統治権とを分けて考えると、統治権は指揮命令する権
      利であり、淵源は国民にあるとして、それを動かせる権利である

    --------------

      と思ふ。   今のご説明は、この二つと照慮するのか

金森   大体その通りである。

小幡   国体が変更になったか否か。  政府は終始変更なしとの
      見解の如く、自分もそう信じる。  しかし、両院に於いては
      なほ充分満足しない様でもあるこの憲法を普及する場
      合に困らないか。  政府の態度如何。

金森   国体論については、議会側と政府側とに不一致があった様に傅
      へられたが、段々議論をしている中に、貴族院に於いても理
      解されてきたと考えている。

   ------------------------------------------------------------

凄い議論をしています。[たらーっ(汗)]

公職追放された松本国務大臣が、なぜ、公職追放されたのか。
それは、大日本帝国憲法の国体の捉え方、主権の捉え方から抜け出せなかったからではないか。

金森氏の衆議院での前文を巡る答弁の狡猾さは、国体や主権など、独立国家に必要なものを
GHQ草案を最高法規とするために、覆い隠すためであった気がします。
(後ほど、全てのアップが終わった後、議事録も現代仮名づかいに直してみたいと考えています)



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<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 8/18 [記録]

第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日

<標準画像 008/18>
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/129_1/129_1_008r.html
p8.jpg
   ------------------------------------------------------------

   第六六條には 「文民」 でなければならないとの規定が加へられたがこの
    「文民」 とは現在に於ては 武官の職歴を行しない人と解している
   が将来の経過に於てある変化が生ずるのではないか、と考えている。

 以上修正箇所についてご説明したが、これに対する反対者も両院
 に若干づつあったけれども、要するにそれは衆議院に於ては 「行き足
 りない」 との立場であり貴族院に於ては 「行きすぎ」 であるとの立
 場であったと云へよう。

    --------------

潮委員長  各章毎に質疑あらばながいたい。
前文。
林(頼)   「この憲法に反する一切の法令…」 が 「この原理に反する一切の憲法…」
       となった理由如何。

金森    原案は改正憲法を標準とした。修正は自然法原理的
       なものを標準として、これを尊重すると云ふ考へである。
       法律論にうつして考えると、憲法が最高原理でなければな
       らない。修正は、正につくらんとする憲法自身の運命をも
       抑制することとなる。 故にこれは一つのレトリックであると考
       へている。

林     すると、「一切の憲法」 とは、将来の憲法のみか

金森    両方を含むと思ふ。

林     「主権が国民に存する」 と明定されて主権の所在がはっきりした。
      この前の本院の検査の際は、松本国務大臣は主権が国民に
      あるとは政治論であり、法律論としては主権は法人たる国家に
      あるとのことだった。

                        <標準画像 009/18> より補足

   ------------------------------------------------------------

<前文より>
そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する


(金森)
原案は改正憲法を標準とした。
修正は自然法原理的なものを標準として、これを尊重すると云ふ考へである。
法律論にうつして考えると、憲法が最高原理でなければならない。
修正は、正につくらんとする憲法自身の運命をも抑制することとなる。
故にこれは一つのレトリックであると考へている。

(林) 「一切の憲法」 とは、将来の憲法のみか

(金森) 両方を含むと思ふ。

(林)
「主権が国民に存する」 と明定されて主権の所在がはっきりした。
この前の本院の検査の際は、松本国務大臣は主権が国民にあるとは政治論であり、
法律論としては主権は法人たる国家にあるとのことだった。

   ------------------------------------------------------------

松本国務大臣 とは、松本烝治氏のことです。
この部分では、幣原内閣の下で発足した憲法問題調査委員会(委員長:松本烝治)の、
「憲法改正要綱(甲案)」 との違いを 「主権」の捉え方の観点から論議しています。

『<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 3/18』 でも記述していますが、
松本国務大臣は、幣原内閣国務大臣の下で、憲法担当として憲法改正に携わっており、
この、「第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日」
記録される前月、公職追放されています。

代わって、憲法改正に活躍したのが芦田均氏(第47代 内閣総理大臣)です。
1946年、6月29日、衆議院、帝国憲法改正案委員長に選任されています。
第1次吉田内閣時代に、衆院憲法改正特別委員長として大いに活躍したことは特筆に価するものだった。1947年(昭和22年)には自由党を離党して民主党を創設し自ら総裁に就任した。
晩年は不遇だったが、終戦直後の活躍には目を瞠るものがあった。

終戦とともに、筋金入りのリベラリスト・議会政治家である芦田が活躍できる時代が始まった。
前述した終戦直後の芦田の大活躍は、芦田時代の到来を予感させた。しかし、芦田には不運がつきまとっていた。
西尾献金問題と昭和電工疑獄事件(昭電事件)では、占領軍内部の勢力争いに日本の政治が翻弄された。民政局は社会・民主中道政権を好み、バックアップした。しかし、GHQ内の反民政局派であるG2の力が強まり、民政局派対G2派の権力争いが激化し、昭電事件がこの抗争に利用されたのである。民政局と関係の良かった芦田はこの抗争の犠牲になった。芦田内閣崩壊後の山崎首班工作事件(狙いは吉田首班阻止)は民政局側の最後の反撃だったが、これは成功しなかった。
国が占領下に置かれていたがゆえの政局混乱であった。
また、西尾献金問題が派生して政党創設問題が浮上して、芦田自身も証人喚問をされた。



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<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 7/18 [記録]

第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日

<標準画像 007/18>
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/129_1/129_1_007r.html
p7.jpg
   ------------------------------------------------------------

   差別を受けない旨をはっきりせよ とのことであり、四四條の修正となった。
五五條の原案は国会に最高の権力を与えよう同類は同類を以って裁かせようとの趣
   旨であった。しかし公正に選挙訴訟を行い得るものがあればそれでもよい。
   又国会は定期にしか存しないと云ふこともあり修正は理論よりも実際の見地
   に立ったものと考えている。

第五章については、六七條、六八條が修正されたが、これは国内的にも主張があっ
   たが、かく修正されたのは外来的影響である。     

第六章 第七九條は第六條の修正に伴ふものであり第八一條は二項であっ
   たのを一項に纏めその結果として意味が幾分明らかになったと考えている。

第七章では八八條の修正があったが詳しくは後に申上げる。衆議院に於ては
   世襲財産の利益は皇室に属する旨の修正を企てたが方向としては逆?とな
   った。しかし虚心坦懐に考えると筋に合った。日本らしいいい結果となったと考
   へている。

第十章では九八條の第一項で條約をも最高の法規とすることは文字の表現に
   問題であったのを改めそれと伴って第二項が出来たものである。

   --------------

第十一章では原案第九七條の削除が行われたがこれは衆議院の全会振の一致
   した修正であって職業の自由等について却って一代華族にとっても不便で
   はないかと云ふ店と 「人の上に人をつくらず人の下に人をつくらず」 と云ふ
   考え方が働いたものと考えている。
   貴族院に於ては別の見地からいろいろの反対論がでて来たが大体の傾向と
   しては衆議院に於ては社会的な規定を設くべしとの主張が強かったのに対し
   貴族院に於ては他の傾向から意見が強く、特に顕着な方向は天皇の大権の強化
   ・家族制度の尊重と云ふことであった。
   しかし、現実的には四つの点となって現れた。

  一、前文の字句の修正。

  二、第一五條 これは外来的修正である

  三、第五九條は法律案の議決についても両院協議会を設けることが出来る
     と云ふことを謂わば念のために規定したものである。

   ------------------------------------------------------------


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<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 6/18 [記録]

第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日

<標準画像 006/18>
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/129_1/129_1_006r.html
p6.jpg
   ------------------------------------------------------------
                   
  しいと認定されたものと考へている。元来社会的規定を盛込むべし
  との要求をどこまで取り入れるか。についてはそれらがどこまで根底があるか
  は未定であるから、立法によるべしとの前提の下にあまり賛成しなかった。
  この考えに対する有効派の主張が二五條と二七條で満足せしめられた
  と云ふ形。であると云へてよい。

    --------------

  その他教育界を代表する一部の議員は義務教育の点について修正
  意識を持ち、宗教界を代表する議員は、宗教を間接的な方法(宗
  教情操教育は国の機関でも行ひ得る等)で重からしめようと云ふ
  意見を持ち、又婦人代議士は母性保護の問題等に熱心であった。

二六條は、義務教育拡充の方向に添うものであるが 「法律の定めるとこるのより」
  として原案の趣旨に経ちつつなほ進展の余地を残したものである。

二七條に勤労の義務が定められたがこれは、イデオロギー的な考えではなく
  権利あれば同じ立場に於て義務を負ふ趣旨であり、勤労奉仕に強
  制勤労奉仕、強制労働的な意味ではないと考えている。

三〇條は納税の義務の規定であり、第一〇條の場合と同じ意味を持つもの。
  と思ふ。

四〇條は、刑事補償請求権の規定であり、第一七條の場合と同じ意味と思っている。

第四章では先づ二院制是非論が闘わされたが衆議院に於ては一院制論が相当強
  い時期があった。しかし、一院制の行き過ぎ是正のため参議院は必要と云ふこと
  で納まった。 議論の経過中、成年普通選挙制の明文がないと云ふ外来的の希望
  があった。年齢のことは特に云ふ必要もないが、教育財産収入等によって
                                     
                            <標準画像 006/18>    (差別を受けない)
                       
     ------------------------------------------------------------

外来からの希望や調整の中で、憲法制定を機に、
各々の議員が、自らの意見を新憲法に織り込もうという意気込みが感じられます。

元来社会的規定

は、その根底が未定であることを理由に、(社会的規定は)立法によるとされました。

伝統や文化(過去)よりも、今を生きている議員が未来を作るという意気込みです。
従来の日本の社会規定(縛り)から脱して未来の日本(自由)を考える。
新憲法に、日本の未来に希望を抱く人々の存在を感じます。

日本らしい憲法(大日本帝国憲法による日本の強み)から離れていくことが外来の希望なのですから、
社会的規定を盛込まないことは、外来の意にも添うことだったと思われます。

教育財産収入等によって差別を受けない

選挙権は、教育財産収入によって差別を受けない。
年齢によってのみ差別を認め、教育、財産、収入によっては差別を受けない。
ならば、成人であれば誰もが自己の利益の追求を選挙権で行使することの危うさ、
選挙権を誰もが持っているがゆえに軽く考える危うさは、
(家庭・学校・社会)教育で緩和されるべきであったと思えてなりません。

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<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 5/18 [記録]

第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日

<標準画像 005/18>
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/129_1/129_1_005r.html
p5.jpg
   ------------------------------------------------------------
                   
  方法により小委員会を通じて議会の修正として取り扱った
  以上を前置きとして以下目録風に説明する。

前文。 修正により主権在民が明記されたが、この修正は全体
  を説明する場合の味合ひとしては、意味があるが実質的には
  原案と変りないと考えている。
  この修正の経過には、外来的の影響が働きまはりくどい方法
  で修正を希望して来たのである。

第一章。 第一案に主権在国民と明記することは社会党の主張で
  あったが他の人々は前文で明かであるとした。しかし、外来の要求があ
  り前文を受けて引用する意味に於て第一条にも明記することとなった

  「国務」 を 「国事に関する行為」 と改めたのも外来的な修正である。
  「国務」 と云ふ語は何となくある方面に対する刺激的な意味がある
  様に感ぜられたらしく、更にせまい意味を来す語を用いる様にと云

    --------------

  云ふ希望であった。  第六條二項の修正は権の分立の理論に立ち、又、行政権の長が勅
  任される以上は、司法権の長も勅任とするのが当然と云ふ見解
  であった。

  第七條については、更に天皇の権能を少くせよと云ふ主張が衆議院
  には強く、これに反して貴族院においては特に外交上の権能につい
  て広くせよとの主張が強かった。

第二章。 これは、戦争放棄の精神に一層、自主性、積極性を持たせようとの趣旨である。

第三章。 については多くの問題が生じたが、最後には少くなった。

一〇條は、当初は不必要と考えていたが、憲法の体裁をととのへる必要か
      ら挿入されたものである。

十七條は、日本に於て機会があればいつかは実現さるべきものと考えていた。

二五条は、一つの建前に影響をもつ修正とも考えられる。この憲法は将来の方針
      をイデオロギー的に開明すると云ふ建前ではなかった。
      法律の内容よりは、いく分理想的な色彩をもつが、かような方針が望ま
      
             (標準画像 006/18より)  (しいと認定されたものと考えている)
  

   ------------------------------------------------------------

この修正の経過には、外来的の影響が働きまはりくどい方法で修正を希望して来たのである。

外来の要求があり前文を受けて引用する意味に於て第一条にも明記することとなった。

「国務」 を 「国事に関する行為」 と改めたのも外来的な修正である。

「国務」 と云ふ語は何となくある方面に対する刺激的な意味がある様に感ぜられたらしく、
更にせまい意味を来す語を用いる様にと云ふ希望であった。

   ------------------------------------------------------------

○一〇條は、当初は不必要と考えていたが、憲法の体裁をととのへる必要から挿入されたものである。

○十七條は、日本に於て機会があればいつかは実現さるべきものと考えていた。

○二五条は、一つの建前に影響をもつ修正とも考えられる。

○この憲法は将来の方針をイデオロギー的に開明すると云ふ建前ではなかった。

○法律の内容よりは、いく分理想的な色彩をもつが、
  かような方針が望ましいと認定されたものと考えている。

   ------------------------------------------------------------

憲法は、その国の文化や伝統を踏まえて、作られるものであるはずです。
が、ここには、文化や伝統が論じられた跡はありません。

ここには、憲法に、外来の考えを受け入れたことが記されています。
建前やイデオロギー、理想的な色彩と、(外国の)望ましい方針を配慮しての憲法です。
それが、我が国の憲法(日本国憲法)の正体でもあります。

占領下での新憲法制定。
大日本帝国憲法を改正の限界を超えての修正であることの可能性、その是非について。

公職追放という生活の基盤を揺るがせかねない危険と背中合わせでの改正論議。

当時の人々が時代の流れの中で精一杯生きた(対処した)ことが分かります。

けれども、日本の行く末が(外来の意向によって)決められていったこと、
文化や伝統よりも外来の意向と、外来の意向に添う人々によって進められていったことは、
紛れもない事実であると思います。

   ------------------------------------------------------------

【清水澄】
日本の憲法・行政法学者。学位は、法学博士。帝国学士院会員。枢密院議長。
宮内省及び東宮御学問所御用掛となり、大正天皇、昭和天皇に憲法学を進講した。
行政裁判所長官、枢密院顧問官・副議長を経て、敗戦後、昭和21年6月13日最後の枢密院議長に任ぜられる

枢密院が廃止され、昭和22年(1947年)5月3日に日本国憲法が施行された後の同年9月25日、
日本の国体の危機を憂い、熱海錦ヶ浦海岸から投身自殺を遂げた。

遺言に当たる「自決ノ辞」には、

新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團体及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ我國ノ將來ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ併シ小生微力ニシテ之ガ對策ナシ依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス之小生ノ自決スル所以ナリ而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ楚ノ名臣屈原ニ倣ヒタルナリ

元枢密院議長  八十翁 清水澄  法學博士  昭和二十二年五月 新憲法実施ノ日認ム

追言 小生昭和九年以後進講(宮内省御用係トシテ十数年一週ニ二回又ハ一回)シタルコト従テ龍顔ヲ拝シタルコト夥敷ヲ以テ陛下ノ平和愛好ノ御性質ヲ熟知セリ従テ戦争ヲ御賛成ナカリシコト明ナリ

と記し、大日本帝国憲法に殉じ、自殺をすることと、その自殺が中国の戦国時代の楚国の屈原が汨羅(べきら)の淵に投身自決した故事に倣ったことが記されている。そして、公人としての最後の責任を全うするために、自らの想いとは別に最後の枢密院議長として新憲法の審議に尽力したのである。

金沢市の石川護國神社には、「清水澄博士顕彰碑」がある。

[猫]生きていて欲しかった、生き抜いて欲しかったと思います。



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<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 4/18  [記録]

第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日

<標準画像 004/18>
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/129_1/129_1_004r.html
p4.jpg
   ------------------------------------------------------------
                   
 (2)公務員の選挙に関し成年者による普通選挙の保障の
   規定の挿入(第十五條第二項)

 (3)法律案の審議についての両院協議会に関する規定の挿
   入(第五十九條第三項)
   
 (4)「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければなら
    ない」との規定の挿入(第六十六條第二項)

(四)貴族院修正可決後、直ちに衆議院に再び囘付され、
   十月七日の本会議に於て、殆んど全員一致を以ってこれを可
   決、ここに憲法改正案は確定を見た。

    --------------

金森国務大臣 議会の修正は議会の行ったことで政府としてはその
   意図は、かくあるべしと諒解されるもの、及び修正の結果の解釈はか
   くあるべしと考えるものについてお話することができるのである。
   衆議院の修正により若干の増補修削除が行われたが衆議院
   の修正は二ツの考へ方から行われた様に思はれる。

 一.改正案は国民の現在の感覚のより行き過ぎている。従って少しでも
    後戻りをさせたいと云う考へ方。それは所謂保守?営の考へである。

 二、現在の国民の意?にまでまだ到達していまい。社会的規定に於て然
   りと云ふ考へ方。それは社会党を忠臣とする陣営の考へである。
   共産党は、天皇制に対し根本的見解を持ち他の規定は論議する
   考えはない、という態度であった。
   これらの原因から修正案が形成されて行った。
   その他、必ずしも衆議院の意思によらないもの謂わば外来のも
   のもあった。これについてはやむにやまれぬ事情と考へ内密的な

   ------------------------------------------------------------

   これらの原因から修正案が形成されて行った。
   その他、必ずしも衆議院の意思によらないもの謂わば外来のものもあった
   これについてはやむにやまれぬ事情と考へ内密的な方法により
   小委員会を通じて議会の修正として取り扱った
標準画像 005/18 より補足)
 
   ------------------------------------------------------------

「日本国憲法制定に至るまで」 (衆議院憲法調査会事務局)

4 憲法議会の審議
 6.21  ・衆議院本会議、吉田首相、施政方針演説(憲法改正問題に言及 質疑3日間)
       ・マ元帥、帝国議会における憲法改正案の審議に関する声明を発表
       (議会における討議の3原則 各条文の審議に十分な時間と機会が与えられるべきこと、
       大日本帝国憲法との法的持続性の保障、国民の自由意志の表明に基づく憲法の採択)

 6.25  ・衆議院本会議(第5号)
       帝国憲法改正案の議事を延期せられたいとの動議(志賀義雄君発議)否決、
       帝国憲法改正案は3読会の順序を経て議決したいとの件(議長発議)可決
      ・衆議院帝国憲法改正案第1読会、帝国憲法改正案趣旨弁明(質疑4日間)
      ・衆議院事務局調査課、「英米両国の統治機構」、「米国憲法」、「現下の食糧問題」、
       「各種民間憲法改正草案集」の各パンフレットを議員に配付

 6.26  ・衆議院本会議(第6号)
       ・衆議院帝国憲法改正案第1読会、吉田首相、戦争放棄について
       自衛のための戦争も交戦権も放棄したものであると言明

 6.27  ・衆議院本会議(第7号)
       ・衆議院各派交渉会、議院法規調査委員会設置を協議決定

 6.28  ・衆議院本会議(第8号)
       ・衆議院憲法改正案委員会(第1回)
       ・衆議院、帝国憲法改正案を帝国憲法改正案委員(72名)に付託
       (自由22、進歩15、社会15、協民7、新光ク5、無倶5、民主2、共産1)

 6.29  ・衆議院、帝国憲法改正案委員長に芦田均(自由)を選任
       ・日本共産党、人民憲法草案を発表

 7. 1  ・衆議院憲法改正案委(第2回)、帝国憲法改正案趣旨説明
       (7.9まで総括質疑、7.11から7.22まで逐条審査)

 7. 2  ・衆議院憲法改正案委員会(第3回)
       ・極東委員会、「日本の新憲法についての基本原則」を採択
      (国民主権の徹底、天皇の権能排除、立法府の強化、文民統制、枢密院・貴族院の廃止など)

 7. 3  ・衆議院憲法改正案委員会(第4回)
       ・内閣に臨時法制調査会設置

 7. 4  ・衆議院憲法改正案委員会(第5回)
       ・衆議院、議院法規調査委員を選任(樋貝議長外21名)

 7. 5  ・衆議院憲法改正案委員会(第6回)
 7. 6  ・衆議院憲法改正案委員会(第7回)
 7. 8  ・衆議院憲法改正案委員会(第8回)
 7. 9  ・衆議院憲法改正案委員会(第9回)
 7.10  ・ケーディスGHQ民政局次長、入江俊郎・内閣法制局長官らと会談
       (7.15佐藤達夫・内閣法制局次長らと、7.17及び7.23金森国務大臣らと会談)

 7.11  ・衆議院憲法改正案委(第10回)、逐条審議に入り、前文に対する質疑を終了
 7.12  ・衆議院憲法改正案委(第11回)、第1条~第5条までの質疑を終了
 7.13  ・衆議院憲法改正案委(第12回)、第6条~第8条までの質疑を終了、第9条質疑に入る
 7.15  ・衆議院憲法改正案委(第13回)、第9条~第11条までの質疑を終了
 7.16  ・衆議院憲法改正案委(第14回)、第12条~第21条までの質疑を終了
 7.17  ・衆議院憲法改正案委(第15回)、第22条及び第23条の質疑を終了、第24条質疑に入る
       ・金森国務大臣、GHQとの会談で「国体」に関する6原則を提示

 7.18  ・衆議院憲法改正案委(第16回)、第24条~第29条までの質疑を終了、第30条質疑に入る
 7.19  ・衆議院憲法改正案委(第17回)、第30条~第38条までの質疑を終了
 7.20  ・衆議院憲法改正案委(第18回)、第39条~第73条までの質疑を終了
 7.22  ・衆議院憲法改正案委(第19回)、第74条~第97条までの質疑を終了

 7.23  ・衆議院憲法改正案委(第20回)、逐条審議を終了し、
       修正案等について協議のため小委員(14名、小委員長:芦田均)選任
       ・貴族院事務局調査部、「憲法改正に関する緒論輯録」を議員に配付

 7.25  ・衆議院憲法改正案小委(第1回)、日本自由党、日本社会党、新政会から修正案を説明
 7.26  ・衆議院憲法改正案小委(第2回)、修正案に対する各派の意見を聴取
       ・ケーディスGHQ民政局次長、終連局を通じて憲法改正案の修正要求を連絡

 7.27  ・衆議院憲法改正案小委(第3回)、前文の字句修正について大体の意見の一致を見、
       次いで第1章及び第2章について協議

 7.29  ・衆議院憲法改正案小委(第4回)、第2章の字句修正について大体の意見の一致を見、
       第3章第23条までについて協議
       ・ケーディス民政局次長、入江法制局長官らに憲法改正案の修正要求を説明

 7.30  ・衆議院憲法改正案小委(第5回)、第24条から第27条までについて協議
       (納税の義務に関する条文の挿入について、意見の一致を見る)

 7.31  ・衆議院憲法改正案小委(第6回)、第28条から第100条までについて協議し、
       修正に関する意見交換を終了

 8. 1  ・衆議院憲法改正案小委(第7回)、
       前文、第1条、第27条及び第84条の修正に関しては保留し、
       その他に関して大体意見の一致を見る
       (8月中旬、芦田委員長からケーディス民政局次長に第9条の修正について説明、了承得る)

 8. 2  ・衆議院憲法改正案小委(第8回)、
       第1条、第27条、第75条、第84条、第94条及び前文に関する修正について協議

 8. 5  ・ケーディス民政局次長、終連局に皇室財産部分に関する修正を伝達
       (本件について、民政局と入江法制局長官(8.6)、佐藤法制局次長(8.15)が会談)

 8. 8  ・衆議院憲法改正案小委(第9回)、
       第3条、第4条、第5条、第6条、第7条、第51条及び第77条の修正について協議

 8. 9  ・衆議院議院法規調査委員会、新憲法に基づき国会法に規定すべき事項の検討開始
 8.10  ・衆議院憲法改正案小委(第10回)、附帯決議案文について協議
       ・内閣に教育刷新委員会設置(委員長:安倍能成)

 8.13  ・衆議院憲法改正案小委(第11回)、附帯決議案文について意見の一致を見る
 8.16  ・衆議院憲法改正案小委(第12回)、附帯決議及び第84条について意見の一致を見る
 8.17  ・衆議院憲法改正案小委、樋貝議長ら日本自由党所属の一部議員による
       皇室財産に関する規定の再修正申立てが原因で流会

 8.19  ・衆議院憲法改正案小委、自由党議員の行動を非難する非公式声明を発表
 8.20  ・衆議院憲法改正案小委(第13回)、第63条及び第64条の修正について意見の一致を見る
 8.21  ・衆議院憲法改正案委(第21回)、帝国憲法改正案を附帯決議を付して修正議決
       ・社会党、帝国憲法改正案に対する修正案(原彪之助君外3名発議)を提出
       ・政府、新憲法附属法律案16件の要綱を発表

 8.23  ・衆議院議長樋貝詮三辞任、後任山崎猛任命
 8.24  ・衆議院本会議(第35回)
       ・衆議院帝国憲法改正案第1読会、委員長報告、質疑(尾崎行雄君)
       ・衆議院帝国憲法改正案第2読会、修正案(原彪之助君外3名提出)趣旨弁明・討論の後、
       否決し、次いで、委員長報告について討論の後、
       2/3以上の多数をもって委員長報告のとおり修正議決
       ・衆議院帝国憲法改正案第3読会、2/3以上の多数をもって第2読会の議決のとおり議決
       (賛成421:反対8)、吉田首相、政府の所信を表明

 8.26  ・貴族院帝国憲法改正案第1読会、帝国憲法改正案趣旨弁明(質疑5日間)
 8.30  ・貴族院、帝国憲法改正案特別委員(45名)選定
       (同日、委員長:安倍能成、副委員長:橋本實斐を互選)

 8.31  ・貴族院憲法改正案特委、委員会の運営方法について協議
 9. 2  ・貴族院憲法改正案特委、帝国憲法改正案趣旨説明、質疑(9.26まで)
 9.27  ・貴族院憲法改正案特委、修正方について懇談会
 9.28  ・貴族院憲法改正案特委、修正案等について協議のため小委員
       (15名、小委員長:橋本實斐)選任
       ・貴族院憲法改正案特委小委、修正審議を開始(10.2まで)

10. 3  ・貴族院憲法改正案特委、帝国憲法改正案修正議決
10. 5  ・貴族院帝国憲法改正案第1読会、委員長報告、質疑、討論(10.6まで 引続き第2読会)
10. 6  ・貴族院帝国憲法改正案第3読会、帝国憲法改正案修正議決
10. 7  ・衆議院本会議(第54号) (第54号追録)
       ・衆議院、帝国憲法改正案を2/3以上の多数をもって貴族院の修正に同意

   --------------------------------

十月七日の本会議
○議長(山崎猛君〕 五名ヲ除キ、其ノ他ノ諸君ハ全員起立、仍テ三分ノ二以上ノ多数ヲ以テ貴族院ノ修正ニ同意スルニ決シマシタ(拍手)之ヲ以テ帝国憲法改正案ハ確定致シマシタ(拍手)
○議長(山崎猛君) 此ノ際内閣総理大臣ヨリ発言ヲ求メラレテ居リマス――吉田内閣総理大臣
  〔国務大臣吉田茂君登壇〕
○国務大臣(吉田茂君) 只今貴族院ノ修正ニ対シ本院ノ可決ヲ得、帝国憲法改正案ハココニ確定ヲ見ルニ至リマシタ(拍手)此ノ機会ニ政府ヲ代表致シマシテ、一言御挨拶ヲ申シタイト思ヒマス、本案ハ三箇月有余ニ亙リ、衆議院及ビ貴族院ノ熱心慎重ナル審議ヲ経マシテ、適切ナル修正ヲモ加ヘラレ、ココニ新日本建設ノ礎タルベキ憲法改正案ノ確定ヲ見ルニ至リマシタコトハ、国民諸君ト共ニ洵ニ欣ビニ堪ヘナイ所デアリマス(拍手)
 惟フニ新日本建設ノ大目的ヲ達成シ、此ノ憲法ノ理想トスル所ヲ実現致シマスルコトハ、今後国民ヲ挙ゲテノ絶大ナル努力ニ俟タナケレバナラナイノデアリマス、政府ハ真ニ国民諸君ト一体トナリ、此ノ大目的ノ達成ニ邁進致ス覚悟デゴザイマス、ココニ諸君ノ多日ニ亙ル御心労ニ対シ感謝ノ意ヲ表明致シマスルト共ニ、所懐ヲ述ベテ御挨拶ト致シマス(拍手)

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<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 3/18  [記録]

第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日

<標準画像 003/18>
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/129_1/129_1_003r.html

p3.jpg
   ------------------------------------------------------------
                   
(第六條第二項)

  (3)天皇の権態に関する字句の修正(第三條ト第七條)
(3)第二章 戦争の放棄
  第九條の字句の修正
(4)第三章 国民の権利及び義務に左の如き条項を追加。
  (1)日本国民たるの要件(第十條)
  (2)公務員の不法行為による損害の賠償請求権(第十七條)
  (3)最低生活権の保障(第二十五條)
  (4)勤労の義務    (第二十七條)
  (5)納税の義務    (第三十條)
  (6)刑事補償請求権 (第四十條)
(5)第四章 国会
  両議院議員の選挙及び被選挙資格に関する修正(第四十四條)
(6)第五章 内閣
  内閣総理大臣及び過半数の国務大臣は国会議員の中から

    --------------

  指名又は任命する旨の修正(第六十七條第一項、第六十八條第一項)
(7)第六章 司法
  第六條第二項の挿入に伴ふ第七十九條の整理
(8)第七章 財政
  皇室財産に関する規定の修正(第八十八條)
(9)第十章 最高法規
  法律及び條役をも最高法規とする規定の削除並びに條約及
  び国際法規の尊守に関する規定の挿入(第九十八條)

(10)第十一章 補足
   華族に関する経過規定の削除
(三)貴族院は八月二十六日に本会議に上程し、八月二十一日より委員
   会の審議に移り、前後二十三回の委員会の後、同月6日の
   本会議に於て、殆ど全員一致を以ってこれを可決した。
    貴族院に於ける修正は左の通りである。
 (1)前文の字句の修正

   ------------------------------------------------------------

「GHQ原案」 http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/147shoshi.html
(国立国会図書館所蔵。1946年2月。マイクロフィルム。「TOP SECRET」) 
GHQ草案英文.jpg GHQ民政局には、憲法草案作成のため、立法権、行政権など分野ごとに条文の起草を担当する8つの委員会と全体の監督と調整を担当する運営委員会が設置された。
2月4日の会議で、ホイットニーはすべての仕事に優先して極秘裏に作成作業を進めるよう民政局員に指示を下した。
各委員会の試案は、7日以降、続々と出来上がり、運営委員会との協議に付された上で原案が作成され、さらに修正の手が加えられ、最終的に全92条の草案にまとめられた。
本資料群は、そうした民政局内部の一連の作業の記録である。
2月4日の会議の記録、各委員会が運営委員会との協議に向けて準備した試案等、各委員会と運営委員会との協議の記録、協議に基づいて作成された原案の順で、一連の流れを追うことができる。(写真は、002/171)

民政局(Government Section、通称GS)
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)内部の組織。
GHQのなかで占領政策の中心を担った。
日本占領の目的である軍閥・財閥の解体、軍国主義集団の解散、軍国主義思想の破壊を遂行し、日本の民主化政策の中心的役割を担った。
また、意図的に労働組合を成長させたり、本国では達成できなかった社会主義的な統制経済を試みたり、日本でニュー・ディール政策の実験を行っていたが、インフレーションが激しく進行し、また絶大な権力の元に、ケーディス大佐らをはじめ汚職が蔓延した。
(日本国憲法制定) GSは、戦時中から大日本帝国憲法と大日本帝国の統治機構を研究しており、自ら憲法制定作業に乗り出す機会をうかがっていた。
1945年12月26日に発表された、憲法研究会「憲法草案要綱」に対しては肯定的評価をくだしている。他方で、幣原内閣の下で発足した憲法問題調査委員会(委員長:松本烝治)の、大日本帝国憲法の趣旨が色濃く残る「憲法改正要綱(甲案)」には否定的であった。

松本烝治
1945.10~1946.5幣原内閣国務大臣(憲法担当)、1946.9~1950.10公職追放

   ------------------------------------------------------------

GHQに提出した「憲法改正要綱」
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/074shoshi.html
(国立国会図書館所蔵。7画面あり)
1946(昭和21)年2月8日松本は「憲法改正私案」を要綱化した「憲法改正要綱」を説明資料とともにGHQに提出した。「憲法中陸海軍ニ関スル規定ノ変更ニ付テ」と題する文書は、軍隊に対するGHQの厳しい態度を予想して、説明資料とは別に作成したものである。
この要綱は、正式な政府案として閣議で了承されたものではなかった。
日本政府は、GHQの内部で憲法草案作成の作業が進行していることを全く知らなかったため、この案に対するGHQの意見を聞いた後に、正式な憲法草案を作成することを予定していた。

「憲法改正草案要綱」に対する国務省の反応
http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/095shoshi.html

   ------------------------------------------------------------

「GHQ草案 1946年2月13日」 http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/076shoshi.html
(国立国会図書館所蔵。入江俊郎文書 15(「三月六日発表憲法改正草案要綱」の内))
民政局内で書き上げられた憲法草案は、2月10日夜、マッカーサーのもとに提出された。
マッカーサーは、局内で対立のあった、基本的人権を制限又は廃棄する憲法改正を禁止する規定の削除を指示した上で、この草案を基本的に了承した。
その後、最終的な調整作業を経て、GHQ草案は12日に完成し、マッカーサーの承認を経て、翌13日、日本政府に提示されることになった。
日本政府は、22日の閣議においてGHQ草案の事実上の受け入れを決定し、
26日の閣議においてGHQ草案に沿った新しい憲法草案を起草することを決定した。
なお、GHQ草案全文の仮訳が閣僚に配布されたのは、25日の臨時閣議の席であった。

GHQ草案訳.jpg
(写真は、001/38。外務省の用紙にて。上部枠外のメモの内容は次の通り)

本案はGHQより提示の原案の訳(外務省にて訳せるもの)
宮内諸君がこれを点検し、えんぴつ書の点に気付き訂正した。

   ------------------------------------------------------------

「GHQ草案手交時の記録」 http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/03/077shoshi.html
(国立国会図書館所蔵。GHQ側と日本側(松本)の記録)
1946年2月13日GHQ草案が日本政府側に示された際の会談に関するGHQ側と日本側(松本)の記録である。
会談の内容について、双方の記録に大きな違いはないが、GHQ側の記録からは、「松本案」に対する返答を期待していた日本政府側が、「松本案」の拒否、GHQ草案の提示という予想外の事態に直面し、衝撃を受けている様子をうかがい知ることができる。

「二月十三日會見記略」
1946年2月13日、 東京大学法学部法制史資料室松本文書 所蔵 (全7画面あり)

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<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 2/18 [記録]

第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日

<標準画像 002/18> http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/129_1/129_1_002r.html

p2.jpg
   ------------------------------------------------------------

第一回審査委員会   (一〇.一九)

先ず吉田総理大臣より簡単な挨拶を行ひ、議会による修正の
箇所及びこれに対する政府の見解は金森国務大臣その他より
説明せしめる旨を述ぶ。

金森国務大臣の説明にあたり、審査委員会に配布したる説明
書左の如し。

    --------------

帝国議会に於ける憲法改正案審議経過

(一) 憲法改正案は今回若干の修正を加えられて帝国議会の議決を経た。

(二) 先ず衆議院に於いては六月二十三日本会議に上程し、七月一日から委員会の審議に移り、
    前後二十一回の委員会の後、同月二十四日の本会議に於いて殆ど全員一致を以ってこれを
    可決した。
    衆議院に於ける主なる修正は左の通りである。

(1) 前文
    主権の所在その他に関する字句の修正

(2) 第一章  天皇

   (1) 第一条中 「主権の存する国民」 云々の修正

   (2) 天皇は内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する旨の規定の挿入

   ------------------------------------------------------------

吉田総理大臣
官僚、外務省出身。
東久邇宮内閣(1945年8月17日~10月9日)や幣原内閣(1945年10月9日~1946年5月22日)で、
外務大臣を務めたのち、第45代内閣総理大臣に就任し、1946年5月22日〜1947年5月24日、
および、1948年10月15日〜1954年12月10日まで在任した。
吉田学校
吉田茂の独自体制を支えるために集められた国会議員のグループを指す。
吉田と同じ官僚出身が多数を占めていた。
外交官から突如、自由党の総裁に就任することになった吉田には、戦後改革を遂行する上で、自分の手足となる忠実な部下が少なかった。
更に、吉田は党人派の議員たちが戦前軍部に屈したことや党人派の行政手腕や政策立案能力などに対し、強い不信感を抱いていた。
こういった理由から、吉田は自身と同じ高級官僚を政界に引き入れ、自派の勢力を充実させるとともに、戦後の混乱期を収拾できる行政能力を高めようと努めた。
吉田は1949年、第24回衆議院議員総選挙に公職追放された旧勢力の公認候補の代わりとして、各省庁から有能な官僚を送り込み、結果総選挙に圧勝した。
吉田はこれら吉田学校生らを強いリーダーシップで率い、戦後日本の政治体制の基礎をかためた。
マッカーサーとの関係
マッカーサーがトルーマン大統領によって解任され日本を去るまで親密であった。吉田は「戦争に負けて、外交に勝った歴史はある」として、マッカーサーに対しては「よき敗者」としてふるまうことで個人的な信頼関係を構築することを努めた。
東方会議をリードし治安維持法に死刑条項を設けたため、公職追放の対象になりかけたがマッカーサーへの様々な働きかけを通じて免れたという。
・憲法改正を急ぐ吉田に疑問を呈する議員たちに対して「日本としては、なるべく早く主権を回復して、占領軍に引き上げてもらいたい。彼らのことをGHQ (General Head Quarters) というが、実は “Go Home Quickly” の略語だというものもあるくらいだ」と皮肉をこめた答えを返した。
・単独講和に反対していた松野鶴平に、「このご時世、番犬くらい飼っているだろう?」と切り出し、「それがどうした」と返されると、「犬とえさ代は向こう持ちなんだよ」。

●第43代内閣総理大臣(1945年8月17日~10月9日) 東久邇宮稔彦王
史上唯一、皇族が首相となった内閣。在任期間54日間は史上最短。最後の挙国一致内閣。
1945年10月5日に内閣総辞職し、次の幣原内閣が発足するまで、職務を執行した。

●第44代内閣総理大臣(1945年10月9日~1946年5月22日) 幣原喜重郎
公職追放により1946年(昭和21年)1月13日に一部の閣僚が入れ替えられた。
1945年(昭和20年)12月18日 (GHQ、敗戦)解散
1946年(昭和21年) 4月10日 22回衆議院議員総選挙 (第21回は1942年)
投票率:72.08% (前回比-11.08%) 白票や無効票を除いた実質投票率:63.38%
※前議員の多数が公職追放され、この選挙で当選した議員でも公職追放された議員もいた。
 <公職追放
政府の要職や民間企業の要職につくことを禁止すること。
連合国軍最高司令官総司令部の指令により、特定の関係者が公職に就くことを禁止された。
有力企業や軍需産業の幹部なども対象になった結果、20万人以上が追放される結果となった。
教育機関(日教組)やマスコミ、言論等の各界、特に啓蒙を担う業界で、いわゆる「左派」勢力や共産主義のシンパが大幅に伸長する遠因になるという公職追放を推進したGHQ、アメリカにとっては大きな誤算が発生してしまう。
講和が近づくと1950年に第一次追放解除が行われた。
翌1951年5月1日にマシュー・リッジウェイ司令官は、行き過ぎた占領政策の見直しの一環として、日本政府に対し公職追放の緩和・及び復帰に関する権限を認めた。
これによって同年には25万人以上の追放解除が行われた。
公職追放令はサンフランシスコ平和条約発効(1952年)と同時に施行された「公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令等の廃止に関する法律」(昭和27年法律第94号)により廃止された。


金森国務大臣
日本の官僚、政治家で、憲法学者としても知られる。岡田内閣の法制局長官、第1次吉田内閣の国務大臣。初代国立国会図書館長も務めた。
戦後は貴族院勅選議員を経て吉田茂内閣の憲法担当国務大臣に就任。帝国議会における大日本帝国憲法の改正審議で、憲法に関する政府答弁を行った。特に有名な答弁としては国体についてのものがある。金森は国体を「天皇を憧れの中心として、心の繋がりを持って統合している国家」であると答弁した。これにより国体は変化していないということを強弁し国会を乗り切ることに成功した。
(1886年3月17日 - 1959年6月16日)
1959年、国立国会図書館長を辞職した翌月(73歳)で没した。

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<極秘> 「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」 1/18 [記録]

過去記事、『初めての大和文華館』 でコメントした内容なのですが、記事として残しておこうと思います。
憲法について、考える際の参考にしていただけると幸いです。

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第90議会議決後に於ける帝国憲法改正案枢密院審査委員会記録 1946年10月19日

<標準画像 001/18> http://www.ndl.go.jp/constitution/shiryo/04/129_1/129_1_001r.html

資料名 第九十議會議決後に於ける帝国憲法改正案樞密院審査委員會記録 法制局
129.1-001l.jpg 昭和21年10月
 入江俊郎文書 45 (国立国会図書館 所蔵)

帝国議会で修正議決された後、1946(昭和21)年10月12日、枢密院に再諮詢される。
枢密院では、10月19日と21日の2回にわたって審査委員会が開かれ、同月29日、枢密院本会議において、全会一致で可決された。

この資料は、第1回と第2回の審査委員会に出席した法制局側の記録である。

委員会では、「帝国議会に於ける憲法改正案審議経過」と題するプリントに基づき、金森国務大臣から説明があり、引き続き、各章ごとに質疑が行われた。
法制局からは、入江長官、佐藤達夫次長(第1回委員会のみ)及び佐藤功事務官が出席した。
この委員会記録は、佐藤事務官の要約筆記に基づいている。

   ------------------------------------------------------------

入江法制局長官

昭和二十一年十月

極秘 (スタンプ)

第九十議會議決後に於ける帝国憲法改正案樞密院審査委員會記録


法制局

   ------------------------------------------------------------

日本には、日本固有の大和文化があります。
日本の風土が育み発展させて来た文化です。
豊かな土壌が育んだ人が、外国から入って来たものも受け入れ、独自に発展させて来たのです。
そこには、感謝の心がありました。
先人や自然に対する感謝の心、神や先祖をまつる祭祀です。

誰でも、先祖あっての人ですから、先祖を敬うことがブレないための大切な軸になります。
天皇を擁していることは、誰でもが天皇を通してご先祖と繋がっていることを意味します。
日本人の強みは、天皇をいただいていることにあるのです。

国民が国柄よりも今の生活(国民主権)を大切にしたらどうなるでしょうか。
それが今の日本の状態、基軸がズレた状態です。

日本国憲法の前文で、「主権が国民に存ずること」 が明記されています。が、資料(0017/18)に、

金森国務大臣の発言に、「前文は大見得を切ったレトリックである」 と明記されています。

日本が交戦国と戦争を終結(講和を締結)しない際に、独立を回復していない時期に作られた憲法。
日本の国柄を軸としない憲法。

その憲法を独立回復後も護り続けたいのは誰なのか。
日本国憲法を作ったのは誰なのか。

学校ではけっして教わることのない真実。
けれど、今なら(今ならです!)、真実を知ることは誰でも可能です。

国立国会図書館に資料として残されているからです。
「極秘」と赤字で刻印されていますが、今なら誰でも読むことが出来ます。
だからこそ、記事にして残しておこうと思います。

GHQ占領時代には、検閲だけでなく、焚書も行われました。
けれど、国立国会図書館では、焚書から免れた資料が保管されていたのです。
(国立国会図書館法の改正が行われ、新たな焚書(都合の悪い書物は処分)が行われれば、
日本は大切な歴史を失うことになります。
日本は歴史を失い、亡国となるのです。

(参考過去記事)
「国立国会図書館法の一部を改正する法律案 1/2」
http://muumintani-irasyai.blog.so-net.ne.jp/2008-11-26-3

「国立国会図書館法の一部を改正する法律案 2/2」
http://muumintani-irasyai.blog.so-net.ne.jp/2008-11-26-4

2008年11月に記事にしていますから、民主党政権が誕生する前です。
自民党でさえ可決しなかった危険な法律案の一つです。
将来可決されれば、政権に都合の悪い書物は、見る事が出来なくなってしまいます。

今、レトリック(巧言)によって騙されている国民は、騙されることに慣れきっています。
慣れてしまえば、軸がブレていても気にならないかも知れません。
けれど、必ず身体に変調を来たします。それが、日本に蔓延する閉塞感です。
そして、気付かないうちに、どこの国の政治家か分からない政治家を誕生させ、
どこの国の人のためなのか分からない政策を施行させている気がします。

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帝国憲法の改正は、衆議院の意思によらないもの、謂わば外来のもの。(p4)

外来の要求があり前文を受けて受けて引用する… 外来的の修正である。(p5)

社会的規定を盛り込むべしという要求をどこまで取り入れるか。外来的な希望があった。(p6)

国内的にも主張があったが、かく修正されたのは外来的影響である。
これは外来的修正である。(p7)

司令部と交渉するときには…
それを納得させようと交渉したが、向こうは納得しなかった。(p12)

修正のプロセスの司令部側の意向は、「前○の目的云々」は、レトリックであるということだった。
私としては、出来る出来ないと云う様なことを出さずに、
静かに将来を待つという態度で行くのがいいのではないかと思っている。
(関屋)問題は、要するに講和条約の問題ではないかと思う。
今の段階では、武力を「持てる」と云う様なことは云えないだろう。(p13)

(林)憲法で書け。列国は安心する。と云うのだろうと思う。…
英文では、戦争放棄ということを最初の出している。
日本文では、三つを並立させている。名を主権に借りて戦争をしない。と云う第一次大戦以後の大原則をこの条文は掲げたのであって、英文では、自衛戦争も排(?)棄することは確かである。

(金森)今の情勢からしてやむを得ないが… 好まないと思う。
将来適当に対応すべきだと思う。
この憲法はなほ戦争中の我が国の憲法であることを忘れてはならない。
対外○○は今後のことであると思う。(p14)

資料の中から気になるところをざっと抜き出しました。

ブログで、18の記事に分けて、当時の事情を含めて記載しておこうと思います。
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小沢一郎 國民大 講演 5/5 [記録]

 [猫]文字起しをしました。
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あまり、講演にはならない講演になって、最後は個人的な話になっちゃっいましたけれど、
本当に若い人の前に立つとね、ついつい自分の若い時のことを思いおこしまして…
私は、あのお… まだ、いいのかな時間。いいんですか…
私は、日本でもね、岩手県というずっと北の方の東北の、
日本でも有数のな貧乏な県で生まれ育ったのですけれども、

その過酷な、過酷というか非常に貧しい田舎で育ったんのですが、その岩手県でね、
こらは、何も、ボクが政治家だからいうのではないのですが、総理大臣は、長州 山口に次いで数が多いんですね。政治家の数だけでなくて、文化人の数も色んな分野で住んでいた人が輩出した所でありますけれど、
それはそういったそれぞれの自身の努力の賜物だと結果生まれるものだという風に思っております、
最近の若い人達に、非常に、あの僕の片田舎のところでもそうですけれども、お国ではどうか分かりませんが、
日本では、日本では欠けていることろがあるんですね。

今日のいわゆるデジタル化した社会といいますか、
色んな意味でこのコンピューターや形の中での文化が非常に普及してまいりましたんで、
お互いに一緒に遊んだり、一緒に暮らしたりとゆう機会が非常に少なくなっているんですね。

僕らは小さい時、何が皆で遊ぶにしてもね、全部自分たちで作ってね、水鉄砲作ったりね、ヒバで竹くりぬいて、
切って、ヒバの鉄砲作ったりね、あの、それこそ、

ウサギ追いしかの山、こぶな釣りしかの川♪

という日本の童謡がありますけれども、
そういう自分で工夫し、自分で形で、一緒に共同作業で遊んだんですね。

ところが、僕の田舎でも、現代では子どもたちが外で遊ぶことがほとんどない。
みんな家の中に入って、ゲームかなんかしている。ですから子どもが割合少ないしね。
人間社会の最初の営みは親兄弟の中から覚えていくんだけれども、
そういった兄弟での競争もなければ、兄弟での協力ということも数が少なくなってきますから、ない。

それから、ましてや他の子どもたちの協力関係ちゅうのが非常に機会が少なくなっている。
お国ではどうか知りませんが、とにかく、日本では非常に深刻な問題です。

私はそのことを一番心配しておりまして、
小さいうちから、やはりお互い共同体ですから、お互いに一人で生きるということが出来ないのですから、
お互いのが力を併せ、お互いが協力することによって、初めて社会というのは成り立つ。

ところがその連帯の仕組み、協力の仕方が分からない。理解が出来ない。いう若い連中が非常に増えている。
小さい時から、ですから、
私どもの政策のひとつと致しまして、今、週2日休む。土曜日と日曜日。
そんなねぇ、子どもや若い者に週二日も休ませてどうするっていうんだって僕は言うんですけどね、、
小人閑居して不善をなす。(注:器量の小さい人は暇でいると、つい、よくないことをする)
子どもに週に2日も休ませることなんてない。
本当に真面目な主張をしているんですよ。

土曜日は、私どもの政策にもありますけれども、これは、学校。
生徒本人はもちろん、父親母親家族、その三者が集まってボランティアの活動とか、地域の伝統文化を身に付けるとか、あるいは集団的な活動をスポーツとか何でもいいですけでども、そういう風に土曜日はしようということを、私は、提案をしておりますし、民主党のマニフェストの中に本当に入っております。

私は、機会が少なくなって、近代化して、お互い触れ合う機会が少なくなればなるほど、
私は必要でないかというふうに思うのであります。

皆さんもね、あまり、勉強してばっかりではいけないんですけれども、勉強するなということを勧めているようで誤解されると困るんですけれども、勉強というのは、色んな意味での勉強があるといこと、理解していただいて、毎日を送っていただきたいとそのように思うわけであります。
ま、今日はなんか、本当に、若い人を前にして、脱線した話ばかりしてしまいましたけれど、どうか皆さんがですね。特にこの大学校は、日本学について韓国の中でも、最も研究の進んでいる学校だと聞いております。
どうか皆さんが先頭に立って、最初から申し上げておりますように、この、
日韓両国、そして日本国民の長い長い歴史の中から学びながら将来のために、お互いのためにぜひ、役に立つように成熟していただきたいとそのように心から願いまして、私の話を終わります。今日はありがとうございました。

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[猫]結局、質問とか受け付けず、しゃべっておしまい、です。(想定内?)
 人の話なんて、やっぱり、聴く人じゃありませんでした。

 自慢話で始まり、歌まで歌い、年寄りじみた説教で終わります。
 日本よりも受験戦争と学歴社会は過酷で徴兵の義務がある韓国で。
 日本の学生に説教するみたいに…
 説教してます。(ちょっと、恥ずかしかった[たらーっ(汗)]
 
 日本の若者、子どもも含めて、人間関係とか色々問題で心配だと言ってます。
 けれども、そういう世の中にしたのは、誰でしょう?
 これからも、もっと、そういう教育に拍車をかけようとしているのは誰でしょう?

 もっと、深刻になりますよ。
 日教組が力を持つと民主党連立政権なのですから…
 それも、気がつかない。
 それは、都合の悪いことは人のせいだから。
 責任を取らないから。
 
 つくづく、自分本位の方のようです。
 
 日本の将来。
 そんなもん、自分には関係ない。そう思っているかも知れません。
 自己責任だと言い切るでしょうね。
 教育や政治の責任だと考えないのでしょうね。

 この国の闇。闇の入り口(出口?)が少し見えた気がしました。
 この闇は、深いです。
 かなりの明かりを投光しないと、見えない気がします。

 家族を崩壊させるような政策の方向に向かってますし、
 教育は、ますます、ヤバイ方向に向かっています。
 この国をどうしたいのか…
 小沢氏には、この国なんて、どうでもいいのだと思います。
 適当に思いつくままにやって、チヤホヤしてくれればよし。
 とでもいいましょうか…

 呆れるほど、短絡的で底の浅い講義。
 通訳の方(通訳が誰とは、私は書かないですが、聞かれている方は通訳を介しています)の、(笑)
 見識の高さゆえに、講演が保たれたのではないかと…
 そのように思った講演でありました。

 最後まで読まれた方、見られた方、お疲れ様でございました。     ☆おしまい☆
 

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小沢一郎 國民大 講演 4/5 [記録]

 [猫]文字起しをしました。
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政治家の私も色んな世界の政治家と会って来ましたけれども、
やっぱり、それなりの国々のリーダーというのは、非常に話を致しまして、感銘深いものがあります。
まあ、個別の名前を出す必要はないと思いますけれども、
私は、あのお、アメリカ人というのは、大変好きなんですけれども、ややもすると、割合単純でしてね
単純なことが良いことでもあり、また、悪いことでもありますし、人間というのは短所というのが長所であり、
長所ちゅのが短所でもありますからしょうがないのですけれども、その中で、リーダーを、私が会ったリーダーでいいますと、アメリカでは、評判が非常に悪いですけれども、ニクソンさんという人は、大変な、私は良い政治家だと思っています。
私も評判が悪いものですから評判が悪い者同士、気があったのかもしれません。

サッチャー。サッチャーという人もね、これまた、大変な人でありまして、
サッチャー内閣で、メンバーの中で、男はサッチャー一人だと言われるくらい、でして、
私は、まだ生存しされておられますから、あまり言っちゃあいけませんが、あまり好きにはなれないですが、大変なやっぱり、リーダーだと思っております。

中国で会った中では、やっぱり、とうしょうへい(鄧小平?)さんが、非常に感銘を受けたですね。
やっぱ、それなりの資質をそれぞれが身につけておったということだと思います。
日本と韓国のことについては、差しさわり有りますので言わないことに致しますけれども、
ま、いずれにしろ、政治であれ、何かあれ、それぞれの分野で何度も繰り返しますけれども、ぜひ、皆さんに、若い内に、今でもね、みなさんを見るとね、あ~、若い内にもうちょっと勉強しておれば良かったなぁと思ってね、本当に後悔を致しておりましてね皆さんの年齢にかえれるならば何にもいらないですね
全てを捨ててもいいからかえりたいぐらいですけれどもがね、これだけは、叶わぬ夢でありまして
ですから、ぜひね、後になって本当に後悔するんですよ、ですから、もう、良く学びよく遊べとということを、言葉を日本でよく言われますけれどね、いっぱい遊んでもいいですけれども、いっぱい勉強もしてもらいたいとね、そう思っているのであります。
ま、私の言いたいことは、そういうことでございまして、特別私自身が持っているわけではありませんので、
後の時間は皆さんから質問があれば、
時間の許す限り、なんやかやと、意見交換を致したいと、そう思っております。

なにしろ、政治家ですから、政治の話をもっと期待しておったと思いますが、民主党が政権をなりましてから、いわゆる政府と党務とを分担を分けまして、私は党務に専念するということで、
一般の政治行政は鳩山総理が内閣に任せる、まあ、こういう役割分担をしたもんですから
余計なことを言いますと、またすぐ、マスコミが色々と報道しますんで、そうすると、ハレーションが起きますから、政治問題は、全く言うことが出来ませんから、
それはいづれの機会かにまた、個人的にお話をするということに致しまして、
今日は、若い皆さんを前にしてですね、本当に、若いってことは、羨ましいですね、本当に。羨ましい。

ですから、何でも、あらゆる可能性があるんですからね、自分の努力次第でどんなことでもね、
私は、このメモは別に致しまして、色んなインタビューであんたのその生き様、生き方というのはどこから来ているのか、誰にそういう教育をシツケを受けたのかということを聞かれるんですよ。

私は、そういうときにね、すぐに答えるんですけれども、私の母親は、明治34年、西暦でいうと、ちょっと分かりませんが、今、生きてますと108.才か9歳ですけれども、私が41、2…
母親は41のときの子どもでして、その母親は、まさに明治の女そのものの、典型的な、明治女性でした。

それで、私はある意味で40過ぎての子どもですから、孫みたいな年なんですが、非常に、厳しい母親でして、ま、可愛がってはくれましたが、厳しかったです。
その母親の教えがですね、要約すると三つになります。
ま、今日は女性も大変多いから、こういう言い方誤解を招いてはいけませんが、私が男の子なんで、
そういう意味でお聞きいただきたいのですが、母親からね、

男の子は言い訳をするな。絶対言い訳をするな。
男の子は絶対泣くな。
泣くなといったって、小説や映画を見て泣いたっていいんですけれども、泣き言をいうなっちゅうことですよね。そして、男の子は
志を強く持て。
信念を、しっかりとした信念を持って努力すれば、必ず、なる。
ま、そういう教えを受けまして、私は、この母親の教えをすっと守って今日までやって来ました。

大変自分自身では満足しておりますけれども多分、そのお陰で、マスコミには大変評判悪いということだと思います。
ただ、私は、非常に大事なことだと思います。
今、男の子という表現を使いましたが、私が男だからということでありまして、女性も同じであります。

女性であろうが男性であろうと同じでありまして、
やはり、自分自身でやったことについては自分自身で責任を持つ。
そういう気持ち、そして、自分自身の考え方をしっかりと持つ。
そして、それに向かって努力するということが、私は一番大事だと人間として要素ではないかなとそう思っております。

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[猫]呆れます!

お母様に言い訳するなと言われていたはず。
責任転嫁、言い逃れ、西松の件では、涙さえ流して言い逃れしようとてましたよ。
なのに、母の厳しい戒めを守ったと、満足だと、豪語していらっしゃる。

とんでもない、脳内変換をされるお方です。
これでは… 無敵です。自分を偽れるのですから。(それが政治家の条件?)
なぜなら、自らは決して責任を取らず、他人に変換して平気でいられるからです。

お母様の言葉を守るから嫌われるのではなく、
お母様でなくても、誰でもが常識として備えているべき道徳観に欠けているから嫌われるんです。
私は、そう思います。

その強欲さ、恥知らずさは、顔に刻まれます。
顔の作り、造作を言ってるのではないです。顔は行いの積み重ねで作られます。
人を責めて恥じない心根の悪さが表情に現われている。
そう思えてなりません。

3/5で、青字で書いたこと(言ったことですが)とも反する内容となってます。
けれども、本音を言った部分でもあると思いました。

 若返りたい。過去に戻りたい。もっと勉強したかった。
 その願いが叶えられるなら、全てを失っても良いと…

全てを手に入れた人と考えているから、そう言うんだと思いますが…
誰もが平等に持っているものが時間。なのですから…
お金や地位でかえるものではありません。

だからこそ、謙虚になることが必要なのだと思います。
その姿勢が、言葉や言動の整合性に繋がるのだと思います。
そして、それがお母様が伝えたかったことだと思わずにははいられません。

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小沢一郎 國民大 講演 3/5 [記録]

 [猫]文字起しをしました。
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まあ、私がね、勉強が好きでないからそう言っているのではないのですが、色んな勉強があります。
やっぱり、それぞれの目指す所によって勉強も中身が違う。
そして、必ずですね、必ずどんな人間であれ、他に秀でた良い点を持っているんですね。

それを私は、優れた点を才能を引き出していくというのが私は教育のあり方だと思っております。
ですから、例えば、日本の社会の現状で言えばですね、一生懸命試験勉強して東京大学なりなんなりを出て、成績優秀でトップクラスの人が皆、東京霞が関の中央官庁のエリートになります。

う~ん、多分ね、学校の成績だけではですね、あそこの、日本では、あそこに居る人が一番成績が良いと思います。
しかし、今、最も評判が悪いのは、あそこにいる人達でございまして
そういう意味で学校の勉強が全部良けりゃあ、それで、全ての社会に出てみんなのために働けるというものではない。
私自身も学生のときを振り返りますとね、学校の勉強そのものよりも、
自分の好きな社会関係等の本を読み漁ったり、したというのが、ま、特に、この政治の世界に入ってですね、 非常に、自分自身では役に立っているなぁとそう思っております。


まあ、その、通信簿、成績簿のことを言われますとね、お前大学の時に優がいくつ有ったなんて言われるとね、
全然自信ないんですけれども、言えませんけれども。
そういうことでですね、学校の成績勉強も大事ですけれども、やっぱり、自分がこういう分野で働こうと、
そのためには、何が、どういう資質が必要なのかと、ということをよくよく見極めて、
そして、そのために必要な知識と見識を身に付けることだと私はそう思っております。


まあ、そういう意味で、また、リーダー像に戻ればですね、
私は、まず第一に、リーダーたらんする人は大きな高い志を持たなくてはならない。
志の無い人間ではリーダーにはなりえない。そういう風に、私は思っております。

そして、もちろん、今、私が政治上でも国民に言っておりますのは、
特に日本人はですね、島国で、長い歴史の中で平和な生活をしておりましたので、自立心に欠けるんですね。
自分で勉強し自分で判断し自分で決断し、自分で責任を負う。
こういう、自立心がもっとも足りない人間、国民といえば、その通りなんですが、だけど、自立心、自立というのは、単に、日本人だけでなくして、それぞれの国々でそれぞれの国民一人一人が、やっぱり自分で責任を負うということ、これが私は大事なリーダーの要素であると思います。
まあ、ある意味において、ケネディー大統領が就任のときにですね、

国民の皆さんは、国家が国民に対して何をしてくれるかということをではなくて、
自分たちが国家に対して何を為すことが出来るのかいうことを考えなくてはいけない。

いう類の名演説をしたんですけれども、私はその意味において、個人の人生という観点からいっても、
また、リーダーとしてはもちろんのこと、自らの自立というが非常に大事だと思っております。

まあ、その他にも、いわゆる現状の認識と洞察力。
というようなことがあったり、色々なリーダーの資質というのがありますけれど、私自身のことを振り返ってみますと、一番、今の仕事をしていて役に立ちますのは、やっぱり、自分が歴史が好きだったものですから、歴史の本を読みました。まあ、歴史の本と言ってもね、学術書みたいな本を読んでるとすぐ眠くなってしまいますから、そんな難しい本は読みませんけれども、どちらかといえば、ノンフィクションの歴史小説的なものを面白く色んな本をこれは、日本人だけでなくて、東洋史、西洋史、色んな本を読みました。

今も好きで読むんでいるんですけれども、だんだん年とって来て、目が悪くなって来たもんですから、読む時間が少なくなりましたけれど、この歴史というのは、最初に申し上げました通り、人間は、歴史を振り返ってみますと、色々な技術の進歩、科学の進歩はありましたけれど、しょせん、人間社会はほとんど同じことの繰り返しであります。戦争と平和。これがもう、何千年繰り返し言われて来たことであり、繰り返し、行われて来たことであります。
ですから、歴史の教訓から学び取る。
いうことが大事なことであると思いますし、また、ひとつの芸術でも何でも、今日に到った先人の業績と、
先人の努力の過程を訪ねるということは、非常に、私は役に立つことだという風に考えておりまして、
古きを温ねて新しきを知る。
という、言葉が中国にありますけれども、まさに私は、そういう意味で、みなさんがどの分野に進むにしても、過去の先人の先達のことを振り返り、それを学びながら、それを鏡としながら、
自分自身の人生を切り拓いていくということが私は非常の大事なこという風に思っております。

ま、いずれにしても、リーダーちゅうのは、何も政治的なリーダーだけがリーダーではありません。
政治、経済、文化、あらゆる面で皆さんには、試行鍛錬の下にリーダーになって欲しい。
また、そうであらねばならないと、思っておりますので、あえて申し上げるわけであります。

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今、最も評判が悪いのは、あそこにいる人達でございまして
そういう意味で学校の勉強が全部良けりゃあ、それで、全ての社会に出てみんなのために働けるというものではない。

[猫]昨日、今日、政治家になった人では無いのに… 
  官僚の腐敗を許したのは政治家や国民でしょうに… [たらーっ(汗)]
  責任転嫁するつもりかしら?
  (お母様に怒られますよぉ… 4/5に出て来ます)

  ケネディー大統領が就任のときの有名な言葉。
  やらせろ詐欺に近いマニュフェストで国民を釣っておいて…

  あんたが言うことか!?

  志(欲)のためには、手段を選ばない。恥知らずとは、小沢氏のことだと思います。
  その上、歴史好きって自慢されてますけれど、検証とかは面倒だからされない。面白ければOK!?
  それで、楽しく読んだ雑学のような歴史が史実と勘違い。
  勘違いではなく、事実、真実になるところが(まるで錬金術?)怖いです。
  (やっぱり、これも… 立派なお母様なら、お尻ペンペンでしょうね)

■この青字の言葉群は、最後に(5/5で)自慢げに言うことに反した言葉です■
ブレブレで、支離滅裂です。
こんな感覚で日本の政治をリードし、自らの汚職も対処されるわけですから… [たらーっ(汗)]
日本の闇の深さを垣間見た気がしました。(併せて教育の闇も…)
私自身も学生のときを振り返りますとね、学校の勉強そのものよりも、
自分の好きな社会関係等の本を読み漁ったり、したというのが、ま、特に、この政治の世界に入ってですね、非常に、自分自身では役に立っているなぁとそう思っております。


学校の成績勉強も大事ですけれども、やっぱり、自分がこういう分野で働こうと、
そのためには、何が、どういう資質が必要なのかと、ということをよくよく見極めて、
そして、そのために必要な知識と見識を身に付けることだと私はそう思っております。


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小沢一郎 國民大 講演 2/5 [記録]

 [猫]文字起しをしました。
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まあ、そういうずっとずっと前の話は別と致しまして、
この、それでも数千年の2千年以上、3千年ぐらいの前にまで遡りますと、
日本で東京大学の教授でありまして、歴史の専門家でございますけれども、江上先生という先生がおられまして、
この先生が日本国家の成り立ちを騎馬民族征服説というのを強く唱えておったわけであります。

私が丁度20年前、当時自民党の幹事長を私がしておりました。
ほんと20年ぶりに、また自民党ではない自民党に変わる民主党の幹事長にさせていただいたわけでありますけれども、20年前に何かの教育関係の陳情に来られまして、そのときに陳情の話よりも歴史の話になりまして、最初5分か10分のつもりだったのが、私も歴史が好きなものですから、1時間くらいこの話に費やしたんですけれども、
まあその江上先生という先生の言ったように朝鮮半島南部いわば韓国に現代では当たりますけれども
この地域の権力者が多分海を渡って九州に辿り着き、九州に拠点を構え
それから海岸沿いにずっと紀伊半島、今、和歌山県とか三重県とか言われるところでございますが、
三重県にまで、九州からずっと海伝いに行きまして、そして、三重県に上陸し、
今の奈良県に入って奈良盆地で政権を樹立したと
それが日本の神話で語られております神武天皇の統制と言う初代の天皇がそうでありますけれども
江上先生はそういう説をずっと唱えておられまして、そこでですね、
日本の大阪に、神武天・コウジン天皇、仁徳天皇という古代の天皇の大きなお墓があります

高さではピラミッドには及びませんけれども、底辺の大きさではそれをしのぐお墓でありますけれども、
今だこれは、宮内庁の管轄の下にあって、発掘することを許されておりません。
江上先生は、一生懸命、当時の幹事長である私にですね、
是非、宮内庁に話ししてこれを、発掘させて欲しいと一生懸命言っておりられましたけれど
そうすれば、全てが歴史の謎が解明されると、そんな話を致しておりましたが
いずれにいたしましても、そういう著名な日本の歴史文化学者でありまする江上先生という方がそれを唱えておるくらいでございまして、
まあ、これは、あまり私がいいますと、国に帰れなくなりますので、強くは言いませんけれども、
多分、歴史的な事実であろうかと思っております

皆さんは、あの、西洋史で言いますと、ノルマン・コンクェストというとお分かりかと思いますが、
ノルマンディー公ウイリアムがイングランドを征服致します。
そして、イギリスに住みついてしまいました結果、フランスの領土で民族運動が烈しくなりまして、
いわゆる英仏100年戦争というのがおこりました。

その中でご存知の救国の英雄ジャンヌ・ダルクが登場するわけですけれども、結局、
ノルマン王朝はフランスの領土を全て失ってしまったわけですけれど、いずれにしましても、
このノルマン・コンクェストと同じだというのが江上先生の結論であります

まぁ。そういうようなこともありますと同時に、
古代史を振り返りますと、お国と当時、新羅、百済という、国がありました。
その両国とも非常な緊密な関係にありましたけれども、古代のモノの本にも両国、
日本の大和朝廷と百済や新羅のみなさんとの交流の中で、
いわゆる通訳を使ったという記録は全くありません
といいますのは、言葉そのもの、発音そのものも同じだったということであろうと思います

現実に、大和朝廷のいわゆる軍人やら役人が百済や新羅の朝廷に、仕えて大臣になったと、
あるいは、新羅や百済の皆さんが大和朝廷の大臣になった。
いうことは、頻繁に行われておったようでございます。
ま、そんなこともありますし、近くには、これは、
日本の天皇陛下も挨拶で言ったことでありますけれども
京都、平城京から平城京ちょうのは奈良ですけれども、平安京という今の京都ですね。
これを作った桓武天皇、794年に、西暦794年に平安京、京都の都が出来たんですけれども、
その桓武天皇の聖母は、百済の王女様だったと天皇陛下自身も認めておられます。

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[猫]歴史にロマンを求めるのも想像力を働かせるのも自由です。
  けれど、史実とロマンは区別せねばなりません。
  誤解を与えかねない言い方を外国で(歓心を買うためでも)言うことは得策ではありません。
  ましてや我が国の一番の権力者とも言われる政治家なのですから…
  慎重の上にも慎重になっても良いくらい。
  ましてや、何でもお国がルーツと言って憚らない方々にネギ背負って行くことないと思いますが…

  通訳を使った記述がなかったから同じ言語だったと断言することは、楽しいかもしれませんが、
  あまりに馬鹿馬鹿しくて… 笑う気にもなりません。
  
  別に聖母が百済の王女様がだって構いませんが…
  神武天皇様を韓国人だというのは、歴史通を気取り、得意げに断定する話ではないと思います。
  (宮内庁に口利きをして発掘許可するような話も含めてです)
  だいたい、天皇陛下を持ち出されること自体が、畏れ多いという気持ち。きっと、ないのでしょうね。[たらーっ(汗)]

まあ、これは、あまり私がいいますと、国に帰れなくなりますので、強くは言いませんけれども、
多分、歴史的な事実であろうかと思っております

ほんと、帰って来なくて良かったのに…
  
  

(ご参考)
■江上波夫■
ウィキペディア(Wikipedia)
今や騎馬民族説は「昭和の伝説」となったが、江上の学者としての真価はむしろ、日本の考古学に海外調査への道を開いたという点にある。
クニ集団所属者間にのみ自己完結的に有効な論理と構造がクニ集団とは無関係なところに生きている事からすれば騎馬民族説はハードおよび理念のレベルで言えば現在の日本史の枠外であり、世界史の枠内での仮説であるとも言えよう。




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小沢一郎 國民大 講演 1/5 [記録]

 [猫]文字起しをしました。
  ------------------------------------------------------------

えーみなさん、おはようございます。
只今ご紹介いただきました小沢一郎でございます。
今日は、国民大学校のお招きをいただきまして、学生の皆さんの前でお話をできますことを大変嬉しく思っております。
特に今、ご紹介いただきました李先生には、以前から大変ご侍講をいただいておりまして、
今日のことが実現いたしましたのも先生のご尽力によるところでありまして、大変感謝を致しております。

私は、今月の27日で国会議員になりましてから、満40年を迎えます。、
しかし、大勢の人の前で喋るのは苦手でございまして、特にマスコミがいっぱいいるところでは、
ほとんど喋らないんですけれども、そのお陰で、日本のマスコミでは最も評判の悪い男となっております。

ま、しかし、今日は若い皆さんの前でございますので、本当に両国の私がこうしてこちらにおうかがいして、
お話を申し上げるということが、皆さんの今後更に日本への理解と認識を深め、
そして、両国の末永い友好伝来のひとつのキッカケになれば良いなぁと思っておりますので、
どうかひとつ、そういう意味で若干の時間お聞き取りいただきたいと思います。

我が国と皆さんとは、国とは、言うまでもなく、民族的にも文化的にも、又政治的にも経済的にも、あらゆる面におきまして、最も身近な最も緊密な関係にある両民族であり、両国であるという風に私は考えております。
しかしながら、よく世間では近しい者ほど、ちょっと感情の行き違い、意思疎通の行き違いがあると、
その対立観も大きくなると、ゆうようなことがよくいわれるのでございますが、両国の関係の中でも、
現代史の中で不幸な時代がありました。
このことにつきましては、日本国、また、
日本国民として皆様に謝罪をしなければならない歴史的な事実であったと思います。

しかしながら、そのことのみをずっと思い続け、いい続けていたのでは、日韓両国の将来に何の良い結果ももたrらいいことをもたらすことはありません。
そういう意味におきまして、特にで若い諸君におかれましては、そういった問題を乗り越えて、
連帯が必要だと意識を民さんそれぞれお持ちになっていると思います。
我が国におきまして、いわゆる韓国のいろんな、特に文化面におきまして、何の抵抗もなんの偏見もなく、
今日では、日本の社会では受け入れられております。
私はそういうことを喜んでおりますし、
今後ともより一層、そういった親密な関係が維持されることを望んでおるわけであります。

まあ、この機会に、若干、横道に逸れるかもしれませんけれど、私なりの日韓両国の関係について申し上げたいとおもっているんですけれども、本当に両国、両国民とというのは、長い長い歴史を振り返りますといわゆる単純な二国間ということではありませんし、また、支配、被支配という概念で捉えられるような関係でもありません。

そういう意味におきまして、お互いの、日本人も韓国のみなさんも、本当にそのことに思いを致すべきだと思っておりますし、ここで意外と日本人も、そして、皆さんも知っているようで知らない事実関係を余談になりますが申し上げたいと思います。
お国もそれから日本も中国の文化の影響を強く受けておりまして、その意味で漢字圏、漢字を使う国でございます。

しかしながら、中国語と韓国の言葉みなさんの言葉、日本語。これは全く文法的にも違った言葉でございます。
いわゆるウラルアルタイ語族とよばれる系統の言語でございます。
一ヶ月ぐらい前に、カザフスタンの遠い遠いカザフスタンの国の旧ソ連領でございますが、大使が私のところに参りまして、両国の関係をもっと緊密な関係にしようという話をしましたときにこの、言葉のことがすぐに話題になりまして、お互い、ウラル・アルタイ語族の系統であると、そして、彼らの伝説の中にはですね、それそれの国は、それぞれの国の本位で考えますから、カザフスタンでウラル・アルタイ語族というのはあの地域に住んでおった。
そして、何千年前か、何万年前か、何十万年前か分かりませんけれども、あの地域から西に東に南へと民族がずっと移動して行ったと。
俗にあそこいらの地域は、トリキスタンと言われる地域ですけれども、その大移動の最も東に位置したのが日本であるということを言っておりましたが、そして、カザフスタンではいずれ、同じウラル・アルタイ語族の民族がまた、カザフスタンには帰って来ると、そういう言い伝えがあるんだそうでございますが、現在の世界でまた、民族大移動が起こるわけではありませんけれども、多分、それは、お互いに共通の言語と共通の文化と共通の民族的な繋がりを持つ者たちが協力して力を合せなければならないという意味なんだと、思いますが、そんな話をカザフスタンの大使としたんであります。

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[猫]小沢氏の強面のお顔が、ソワソワして見えるほど(嬉しいのかしら?)。
  柔和にすら(媚びて)見えるのは、歓迎してくれていることが分かるからかも知れませんね。
  さて、何を話し出し、どんな展開に持っていこうとしているのか… 続きます。

(ご参考)
■ウラル・アルタイ語族■
ウィキペディア(Wikipedia)
ウラル・アルタイ語族は言語の分類の一つであり、かつては、印欧語族、セム・ハム語族(現在のアフロ・アジア語族)とともに世界の3大語族とされていた。朝鮮語・日本語をこれに含める説もあった。
共通の特徴としては、膠着語であり、SOV語順(例外もある)、母音調和があることが挙げられる。
しかし共通する基礎語彙は(ウラル語族を除いて)ほとんどなく、上の特徴も地域特性(言語連合)である可能性が高い。そのため現在は、それぞれウラル語族、アルタイ諸語に分類されている。


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東条英機の遺言 [記録]

以前、「日本人が知ってはならない歴史 戦後篇」 でも取り上げましたが、
東条英機元首相の遺言を記録として残しておこうと思います。

 (死刑執行(昭和23年12月23日零時)数時間前に、東京巣鴨において朗読された)

皇太子様の誕生日(今の天皇誕生日)に死刑を執行することの意味。
我々日本人にかけられた呪い(復讐?)のようなものを考えると、心が凍りつきます。
天皇陛下は、ご自分の誕生日を祝うとき、殉国七士の尊い命の上にあることを思いを馳せねばおられないからです。

今の日本の危機の原因がどこになるのか。
今こそ、東條英機元首相の我々に託した思いを汲み取らねばならないと思います。

※東條英機元首相の言う”赤化の根拠地となった満州”は、今の中国です。
※欲を排した公の存在である天皇陛下を守ることが日本を守ることでした。
※天皇制という言葉も天皇主権も間違った言葉です。共産主義の造語です。

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東条英機の遺言

開戦の時のことを思い起こすと実に断腸の思いがある。
今回の処刑は個人的には慰められるところがあるけれども、国内的の自分の責任は、死をもって償えるものではない。
しかし国際的な犯罪としては、どこまでも無罪を主張する。
力の前に屈した。自分としては、国内的な責任を負うて、満足して刑場に行く。
ただ同僚に責任を及ぼしたこと、下級者にまで刑の及びたることは、実に残念である。

天皇陛下および国民に対しては、深くおわびする。
元来、日本の軍隊は、陛下の仁慈の御志により行動すべきものであったが、
一部あやまちを生じ、世界の誤解を受けたるは遺憾である。
日本の軍に従事し、倒れた人および遺家族に対しては、実に相済まぬと思っている。
 
今回の判決の是非に関しては、もとより歴史の批判に待つ、もしこれが永久の平和のためということであったら、
もう少し大きな態度で事に臨まなければならぬのではないか。
この裁判は、結局は政治裁判に終わった。勝者の裁判たる性質を脱却せね。
 
天皇陛下の御地位および陛下の御存在は、動かすべからざるものである。
天皇陛下の形式については、あえて言わぬ。存在そのものが必要なのである。
それにつきかれこれ言葉をさしはさむ者があるが、これらは空気や地面のありがたさを知らねと同様のものである。

東亜の諸民族は、今回のことを忘れて将来相協力すべきものである。
東亜民族もまた他の民族と同様の権利をもつべきであって、その有色人種たることをむしろ誇りとすべきである。
インドの判事には、尊敬の念を禁じ得ない。これをもって東亜民族の誇りと感じた。
今回の戦争にて、東亜民族の生存の権利が了解せられはじめたのであったら、しあわせである。
列国も排他的な考えを廃して、共栄の心持ちをもって進むべきである。

現在の日本を事実上統治する米国人に一言するが、
どうか日本の米国に対する心持ちを離れしめざるように願いたい。
また、日本人が赤化しないように頼む。
東亜民族の誠意を認識して、これと協力して行くようにしなければならぬ。
実は、東亜の多民族の協力を得ることができなかったことが、今回の敗戦の原因であると考えている。

こんご日本は米国の保護の下に生活していくのであるが、極東の大勢はどうであろうか。
終戦後わずかに3年にして、アジア大陸赤化の形勢はかくのごとくである。
こんごのことを考えれば、実に憂なきを得ぬ。
もし日本が赤化の温床ともならば、危険この上ないではないか。

日本は米国よりの食糧その他の援助を感謝している。
しかし、もしも一般人が自己の生活の困難や、インフレや、食糧の不足などを米軍の日本にあるがためなりというような感想をもつようになったならば、それは危険である。
実際にかかる宣伝をなしつつある者もあるのである。
よって、米軍は日本人の心を失わぬように注意すべきことを希望する。

米国の指導者は、大きな失敗を犯した。
日本という赤化の防壁を破壊し去ったことである。
いまや満州は赤化の根拠地である。
朝鮮を二分したことは東亜の禍根である。
米英はこれを救済する責任を負っている。

従って、その意味においてトルーマン大統領が再任せられたことはよかったと思う。

日本は米国の指導にもとづき武力を全面的に放棄した。
それは一応は賢明であるというべきである。
しかし、世界が全面的に武装を排除していないのに、一方的に武装をやめることは、
泥棒がまだいるのに警察をやめるようなものである。

私は、戦争を根絶するには、欲心を取り払わねばならぬと思う。
現に世界各国はいずれも自国の存立や、自衛権の確保を説いている。
これはお互いに欲心を放棄していない証拠である。
国家から欲心を除くということは、不可能のことである。
されば世界より戦争を除くということは不可能である。
結局、自滅に陥るのであるかもわからぬが、事実はこの通りである。

それゆえ、第3次世界大戦は避けることができない。
第3次世界大戦において、おもなる立場に立つものは米国およびソ連である。
第2次の世界大戦において、日本とドイツが取り去られてしまった。
それゆえ、米国とソ連が直接に接触することになった。
米ソ2国の思想上の相違はやむを得ぬ。この見地からいうも、第3次世界大戦は避けることはできぬ。
第3次世界大戦においては、極東がその戦場となる。
この時にあたって、米国は武力なき日本をいかにするのであろうか。
米国はこの武力なき日本を守るの策をたてなければ、また何をかいわんや。
そうでなしとすれば、米国に何らかの考えがなければならぬ。
米国は、日本8千万国民の生きてゆける道を考えてくれねばならない。

およそ生物としては、生きんことを欲するのは当然である。
産児制限のごときは神意に反するもので、行うべきではない。

なお言いたきことは、最近に至るまで戦犯容疑者の逮捕をなしつつある。
今や戦後3年を経ておるのではないか。
新たに戦犯を逮捕するというごときは、即時にやめるべきである。
米国としては、日本国民が正業につくことを願い、その気持ちでやって行かなければならぬ。
戦犯の逮捕は、我々の処刑をもって、一段落として放棄すべきである。

戦死傷者、抑留者、戦災者の霊は、遺族の申し出があらば、これを靖国神社に合祀せられたし。
出征地にある戦死者の墓には、保護を与えられたし。
従って遺族の申し出あらば、これを内地に返還せられたし。
戦犯者の家族には、保護を十分に与えられたし。

青少年の保護ということは、大事なことである。
近時いかがわしき風潮は、占領軍の影響からきているものが少なくない。
この点については、わが国古来の美風をも十分考慮にいれられたし。

今回の処刑を機として敵、味方、中立国の罹災者の一大追悼会を発起せられたし。
もちろん、日本軍人の間に間違いを犯した者はあろう。これらについては衷心、謝罪する。
これと同時に、無差別爆撃や原子爆弾の投下をなしたことについて、米国側も大いに考えなければならぬ。
従って、さようなことをしたことについては、米国側も大いに悔悟すべきである。

最後に軍事的問題について一言するが、我が国従来の統帥権独立の思想は確かに間違っている。
あれでは陸海軍一本の行動はとれない。
兵役については、徴兵制によるか、傭兵制によるか考えなければならぬ。
我が国民性を考えて、再建の際に考慮すべし。
教育は精神教育を大いにとらなければならぬ。
忠君愛国を基礎としなければならぬが、責任感をゆるがせにしてはならぬ。
この点については、大いに米国に学ぶべきである。
学校教育は、人としての完成を図る教育である。
従前の醇朴剛健のみでは足らぬ。宗教の観念を教えなければならぬ。欧米の風俗を知らせる必要もある。
俘虜のことについても研究して、国際間の俘虜の観念を徹底せしめる必要がある。




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最高裁判事審査の投票基準資料 [記録]

資料です。

◎衆院選と同時に最高裁判事審査投票もあります。

※不適切と思われる方に X(バツ) を付けるという方式です。

国籍法の一部改正に携わった方々が適切な方かどうかも、審査する資料となります。
ご参考に。

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平成20年6月4日、最高裁判所大法廷で、
結婚していない日本人の父とフィリピン人の母から生まれた子供10人に国籍を与える判決をしたことで、
国民を人と拡大解釈し、国籍法が一部改正されました。
その判決で、
「国籍を認めることに賛成した」 判決を下した裁判官は以下の通りです。
島田仁郎(裁判官)
藤田宙靖(学者)
泉徳治(裁判官)
才口千晴(弁護士)
今井功(裁判官)
中川了滋(弁護士)
那須弘平(弁護士)
涌井紀夫(裁判官)
田原睦夫(弁護士)
近藤崇晴(裁判官)


「国籍を認めることに反対した」 裁判官は以下の5名でした。
横尾和子(行政官)
甲斐中辰夫(検察官)
津野修(行政官)
堀龍幸男(裁判官)
古田佑紀(検察官)
                           ※弁護士は、一人もおりません。

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(ご参考:過去記事)
国籍法改正案 採択!! 参議院 法務委員会
読売新聞の正体と草莽崛起
良識の夫 (りょうしきのふ)
「 弾劾裁判の訴追請求 」
裁判官訴追審査事案決定通知

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日本人。必見の映画。 [記録]

遊就館で上映されたが中国、韓国の抗議によって封印された幻の映画です。
ご覧になっておられない方は、ぜひご覧下さい。

◎ニコニコ動画 3分割です。(コメント非表示がオススメです)







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◎you tube でもご覧になれます。こちらは、7分割。(映像キレイです♪)














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折り紙(簡単クズ入れ) [記録]

先日旅行に行った際に、親戚の家で教えてもらった折り方です。
広告の紙や包装紙を使って、正方形のカタチに整えてから折ります。
簡単に折れるので、ご活用下さい。

    ★ 出来上がり ★             ①三角に折ります
P1040713P1040699

 ②さらに三角に折ります             ③三角を広げ四角を作ります
P1040700P1040701

 ④もう一つの三角も広げて四角を作ります  ④上に折り曲げ三角を作ります(裏表とも)
P1040702P1040703

 ⑤左端を右端に合わせます(裏表とも)    ⑥左右の端を中心に向かって折り返します
P1040704P1040705

 ⇒裏も折り返します ⇒とんがった方の三角をクチバシのように開き…
P1040706P1040707

反対側に合わせ…                 裏も同じく開き、反対側に合わせます。
P1040709P1040710

 ⑦上の三角を中に折り込み(4枚三角があるので4回折りこみます)… 開いたら出来上がりです。
P1040711P1040712

☆ご参考☆   始めの三角の折り方(裏表)で、表面に出る模様が変ります。
P1040714P1040715

果物の皮入れ、お菓子入れ… 結構便利に使えると思います。[わーい(嬉しい顔)]       
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