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黒田裕樹「明治憲法とは」 3/15 [正しい歴史認識]

3/15 「明治憲法とは」 ~'10.01.23 黒田裕樹の歴史講座
http://www.youtube.com/watch?v=O_zRm4nq8GQ&list=PLF5A3AF647E00E535

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それでは、明治憲法の歴史的経緯から語っていきたいと思います。
まず、明治憲法を理解しようと思ったら、我が国の歴史の中で、幕末まで遡らないといけません。
幕末以降、我が国は諸外国の勢力によって無理やり開国させられたという歴史的事実があります。

黒船等により、諸外国の圧力によって半ば無理やり開国させられた我が国。
当時、我が国は国力が諸外国と比べて大きく離れていました。国力が無かった。
しかも、我が国は開国に向けての何の準備もしていなかった。
つまり、国際的な条約とおいうのはどういうものなのか、その内容がどういうものなのか、
全然分かってなかった。

そんな国が他国と条約を結ぼうと思ったらどうなりますか?
言いなりにしかならないでしょ。
結局、諸外国の言いなりに結んだ条約はもの凄く不平等だった。

不平等な条約を伴った開国ですが、何度も歴史講座で申し上げているのですが、
黒船来航以前から、開国のチャンスは何度もあったんですよ。思い出して下さい。

12月の講座で、田沼意次は何をしましたか?
ロシアが南下をして、我が国の領土を狙っていると警告を受けたときに、
ロシアの領土的野心を和らげるために、ロシアと民間貿易をしようじゃないかと言い出したのは誰か。
田沼意次でしょ。
その案が通っていれば、我が国は半世紀前に開国を成し遂げていたわけです。
そしたら、しっかりとした準備の下に、不平等な条約をうちつけられるようなことも無かっただろうし、
50年間、無駄飯食っている間に、他国と差が開くこともなかったわけですよ。
それを全部潰したのが松平定信だと言いましたね。

鎖国という状態が我が国の祖法、先祖の代から守るしきたりであると、
あたかもそうであるかのように、誤解をしたと。
以前も言いましたね。鎖国は勝手に決めたわけではありません。
なし崩しにそのまんまの状態になってしまったと。
それなのに、鎖国は祖法であると勝手な誤解を信じ込んだ江戸幕府の失政です。
結局、江戸幕府は鎖国は祖法であると信じ込んで何の手も打たなかった。
打とうとした田沼意次は徹底的に潰して、何の手も打たなかった松平定信を選んだ。
その結果が無理やり開国。不平等条約です。

開国から明治維新までの十数年間。
我国は未曽有の今まで経験したことのない混乱の時期を経て、幕府は倒れて、
明治維新により新政府が樹立されることになった。

今回は、幕末の話をしているのではありませんので省略しますけれども、
その大きな歴史の流れでは、鎖国を祖法であると信じこんで、
それがゆえに開国が遅れて我が国に不平等条約が押し付けられる結果となったという、
失政続きの幕府には、これ以上政権は任せられないという、
そういう国民、当時の武士や公家の総意があったと考えて差し支えないでしょう。

そういう歴史的な大きな流れで幕府が倒されて明治の新政府が出来たという背景がある。
もちろん、それだけが理由ではないけれど、大きな流れではそういうことになります。

幕府に変わって政権を手に入れた新政府。
幕府から政権を奪って万々歳とはいえない状態だった。
何故かというと、新政府には、なさねばならない課題が山のように積まれていたからです。
中でも明治新政府がつきつけられた大きな課題は、
いかにして我が国が一つの状態にならないようにするか。
ならないようにするためには、独立を守るということ。
独立が守られなければ、我が国は他国の植民地にされてしまう。
危機感です。

危機感があったればこそ、明治新政府はなさねばならない課題が山積していた。
というのが当時の実情なんです。


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